2025年8月に星組から花組への組替えが発表され、大きな注目を集めている極美慎さん。
空手少女から宝塚のスターへと成長した彼女の背景には、どのような家族の存在があったのでしょうか。
本名・黒川香鈴として神奈川県横浜市で育った極美慎さんには、3歳下の妹さんがいることが明らかになっています。
また、宝塚との運命的な出会いを作ったお父さんの教育方針や、「極美慎」という芸名の由来となった実家での空手経験など、家族にまつわる興味深いエピソードが数多く存在します。
今回は、極美慎さんを支え続けてきた家族の愛情と価値観について、詳しく紐解いていきたいと思います。
極美慎の家族構成|3歳下の妹がいる4人家族の真実
極美慎の兄弟について|宝塚GRAPHで明かされた妹の存在
宝塚歌劇団の極美慎さんにご兄弟はいるのでしょうか?
この疑問について、実は2020年に明確な答えが出ています。
Yahoo知恵袋でファンの方が質問されたところ、「3歳下の妹さんがいると、GRAPH10月号に載っています」という回答がありました。
この宝塚GRAPH 2020年10月号では、極美慎さんの「波瀾爆笑!?我が人生」という特集が組まれており、その中で家族構成についても触れられていたんですね。
普段はプライベートな情報をあまり公開されない極美慎さんですが、この特集では珍しく家族についてのエピソードが紹介されていました。
妹さんの詳細な情報(お名前や職業など)については公表されていませんが、3歳という年の差は、きっと仲の良い姉妹関係を築いているのではないでしょうか。
極美慎さんが空手を習っていた時期もあったので、もしかすると妹さんも何かスポーツをされていたかもしれませんね。
本名・黒川香鈴として育った横浜での幼少期
極美慎さんの本名は「黒川香鈴(くろかわ かりん)」さんです。
愛称の「かりん」は、この本名に由来しているんですね。
「しん」という愛称と合わせて、ファンの間でも親しみを込めて呼ばれています。
神奈川県横浜市で生まれ育った極美慎さんは、県立港北高等学校を卒業されています。
港北高校は横浜市港北区にある学校で、極美慎さんの他にも俳優の谷原章介さんや富田靖子さんなど、多くの著名人を輩出している学校です。
横浜という都市部で育ったことで、様々な文化的な刺激を受けながら成長されたのでしょう。
後に宝塚との出会いも、このような環境があったからこそ実現したのかもしれません。
家族で過ごした温かい思い出|飛騨高山温泉エピソード
極美慎さんの家族の仲の良さを物語るエピソードがあります。
宝塚のスタープロフィール帳で語られたのが、家族で行った飛騨高山の温泉旅行のお話です。
風邪気味でグッタリした状態で行った温泉旅行でしたが、温泉につかって一晩眠ったら、翌朝には風邪が治っていたそうです。
極美慎さんは「温泉の力ってすごいな〜」と感動し、それがきっかけで温泉巡りが好きになったとか。
このエピソードからは、体調が悪い時でも家族旅行を大切にする温かい家庭の様子が伺えます。
また、2018年のファンとの交流では「実家でうさぎを飼っている」ことも明かされました。
極美慎さんはうさぎやミッフィーがお好きということで、きっと動物を大切にする優しい家庭環境で育ったのでしょうね。
極美慎の父親が与えた決定的影響|宝塚との運命の出会いを作った教育方針
「人生は経験だ」父親の名言が生んだ宝塚への道
極美慎さんの人生を大きく変えたのは、お父さんの一言でした。
中学生の頃、「人生は経験だ。いろんなものを見たほうがいい」と言って、宝塚の劇場に連れて行ってくれたのです。
思春期真っ只中の極美慎さんは、正直なところ半ば嫌々ついて行ったそうです。
ところが、幕が上がった瞬間、その嫌々という気持ちはあっという間に吹き飛んでしまいました。
舞台上で輝く宝塚生たちの姿に完全に魅了されてしまったのです。
そして驚くべきことに、その半年後には宝塚音楽学校の受験をしていたというのですから、この初観劇がいかに衝撃的だったかがわかります。
もしお父さんがあの時「経験してみなさい」と背中を押してくれなかったら、今の極美慎さんはいなかったかもしれません。
「自分のことは自分が一番わからない」人生哲学の継承
お父さんから受け継いだ最も大切な教えが、「自分のことは自分が一番わからないのが当たり前。それを知っていくのが人生なんだよ」という言葉です。
極美慎さんは現在でもこの言葉を大切にされています。
また、「欠点は治すことよりも認めることが大事だ」という教えも、極美慎さんの人格形成に大きな影響を与えています。
自分の欠点を認めれば、その対処方法が見えてくる。
まずはダメな自分も、良い自分も、すべて受け入れることが「自分を知ること」の第一歩だと、極美慎さんは語られています。
この考え方があるからこそ、極美慎さんは失敗を恐れずに様々なことにチャレンジできるのでしょう。
「これも自分を知るための経験、人生は失敗してなんぼ、この失敗が明日の私を作るんだ!」という前向きな姿勢は、まさにお父さんから受け継いだ哲学の表れですね。
宝塚受験を支えた理解ある父親の存在
極美慎さんの宝塚への道のりは決して順調ではありませんでした。
初回の受験では、何の知識もなく挑戦した結果、面接で思わず「押忍!」と挨拶してしまうという今となっては微笑ましい失敗もありました。
しかし、この初回受験の失敗も、お父さんとお母さんは「人生の経験だ」と言って温かく見守ってくれました。
反対するどころか、むしろ応援してくれたのです。
そして極美慎さんは、試験会場で出会った本科生の先輩方の素敵さに感動し、「やっぱり入りたい!」という思いを強くしました。
2度目の受験に向けて、バレエや声楽を基礎から習い始めた極美慎さん。
最終面接では、去年の不合格の理由を聞かれて「『押忍』と答えたからだと思います」とハキハキと答え、見事合格を勝ち取りました。
この一連の体験も、お父さんの「厳しくも愛情深い」サポートがあったからこそ実現できたのです。
極美慎の実家と空手の関係|横浜で育まれた「極美慎」という名前の由来
神奈川県横浜市の実家で過ごした幼少期
極美慎さんの実家がある神奈川県横浜市は、東京にも近く文化的な刺激に富んだ環境です。
県立港北高等学校出身ということから、港北区周辺にお住まいだった可能性が高いですね。
実家の経済状況について明確な情報は公表されていませんが、宝塚音楽学校への複数回の受験費用、空手・バレエ・声楽といった様々な習い事、そして家族での温泉旅行など、これらを支えられる程度の経済的余裕はあったと考えられます。
何より、お父さんが積極的に文化的な体験を提供してくれる家庭環境だったことが、極美慎さんの人生に大きな影響を与えました。
「いろんなものを見た方がいい」という考えのもと、子どもたちの可能性を広げることを大切にする家庭だったのでしょう。
極真空手から生まれた芸名「極美慎」
極美慎さんの芸名には、特別な由来があります。
実は「極美慎」という名前は、「極真空手」から取られているのです。
きっかけは幼稚園の頃に見たアニメ「ドラゴンボール」でした。
主人公の孫悟空に憧れた極美慎さんは、「あれが着たい!」とお父さんに道着を着せてもらいたいと訴えました。
最初は沖縄空手を習い始め、引越し後にお父さんが見つけた極真空手の道場に入門したのです。
幼稚園から中学2年まで続けた空手は、極美慎さんの人生の基盤を作りました。
身体的な強さはもちろん、精神的な芯の強さも培われました。
そして何より、この空手経験が宝塚での芸名につながったというのは、なんとも運命的ですね。
中学生になって身長がぐんと伸び(中学生ですでに170cm超!
)、対戦相手が男性ばかりになった頃、少しずつ空手から距離を置くようになりました。
そんな時期に出会ったのが宝塚だったのです。
家族の価値観が育んだ現在の極美慎
現在の極美慎さんの魅力的な人柄は、間違いなく家族から受け継いだ価値観によって育まれています。
お父さんから学んだ「経験を大切にする」姿勢は、宝塚でも新しい役柄への挑戦や、2025年8月の花組への組替えという大きな変化も前向きに受け入れる力となっています。
「自分を知るための経験」という考え方があるからこそ、どんな困難も成長の機会として捉えることができるのでしょう。
また、妹さんがいる家庭で育ったことで、人への思いやりや協調性も自然と身についたはずです。
宝塚という集団生活の中でも、周りの人たちとの良い関係を築けているのは、家族から学んだ人間関係の基礎があるからかもしれません。
空手で培った精神的な強さ、お父さんから受け継いだ前向きな哲学、そして家族の温かい愛情。
これらすべてが合わさって、現在の輝く極美慎さんが存在しているのです。
まとめ
極美慎さんの家族について詳しく見てきましたが、3歳下の妹さんがいる4人家族で、特にお父さんの教育方針が現在の極美慎さんの人格形成に大きな影響を与えていることがわかりました。
「人生は経験だ」という考えのもと宝塚との出会いを作ってくれたお父さん、神奈川県横浜市の実家で家族の愛情をたっぷり受けて育った幼少期、そして極真空手から生まれた芸名まで、すべてが今の極美慎さんにつながっています。
2025年8月の花組への組替えという新しい挑戦も、きっと家族の愛情と価値観が支えてくれることでしょう。
これからも極美慎さんの活躍から目が離せませんね!
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