紅ゆずるの音楽学校時代!成績は最下位近く?トップスターまでの逆転劇とは

宝塚

元宝塚歌劇団星組トップスターとして華々しく活躍し、現在も女優・タレントとして多方面で愛され続けている紅ゆずるさん。

凛とした美しさと関西弁のユーモア溢れるトークで多くのファンを魅了している彼女ですが、実は宝塚音楽学校時代の成績は驚くほど低かったことをご存知でしょうか。

入団時の成績は48名中47番という、まさに最下位から2番目という状況からスタートした紅ゆずるさん。

今回は、そんな彼女の音楽学校時代の知られざるエピソードと、成績最下位からトップスターへと上り詰めた奇跡のサクセスストーリーを詳しくご紹介します。

紅ゆずるの宝塚音楽学校入学まで

11歳での運命の出会い

紅ゆずるさんが宝塚歌劇と出会ったのは、わずか11歳の時でした。

テレビで偶然目にした雪組公演『雪之丞変化/サジタリウス』を観た瞬間、「宝塚に入る人生しかない」と強く決意したのです。

この運命的な出会いが、後の紅ゆずるさんの人生を大きく変えることになります。

幼少期から「思い込みが激しい」性格だった紅ゆずるさん。

小学3年生の時には『ピーターパン』のミュージカルに夢中になり、親に緑の服を買ってもらって1年間ピーターパンだと思って生活していたというエピソードもあります。

しかし宝塚への憧れだけは、そんな一時的なブームとは違っていました。

両親の反対と長い説得

ところが、紅ゆずるさんの宝塚音楽学校受験への道のりは決して平坦ではありませんでした。

実は彼女は「何を始めてもすぐ辞めてしまう飽き性」な性格で、両親はそんな娘の姿を見続けてきたのです。

宝塚音楽学校の受験は中学3年生から高校3年生まで、年1回で最大4回しかチャンスがありません。

両親は「毎回落ちて落胆する娘の姿」を想像し、受験に反対し続けました。

しかし、連日テレビ録画した宝塚歌劇の映像を食い入るように見る娘の姿を見て、両親も遂に受験を承諾。

ただし条件は「高校3年生の時に1回だけ」というものでした。

わずか半年間の受験対策

最も驚くべきは、紅ゆずるさんの受験対策期間です。

宝塚音楽学校の受験には通常、幼少期からのバレエや声楽の訓練が必要とされますが、紅ゆずるさんがバレエと声楽のレッスンを始めたのは、なんと受験前のわずか半年間だけでした。

それまでは独学で、テレビ番組の振り付けや踊りを研究していたのです。

クラシックバレエも声楽も習わせてもらえなかったため、すべて一人で勉強していました。

この短期集中の対策だけで一発合格を果たしたのは、まさに奇跡としか言いようがありません。

紅ゆずるの音楽学校時代の成績

入団時成績47番/48名中の衝撃

2002年、紅ゆずるさんは宝塚歌劇団に88期生として入団しました。

しかし、その時の成績は48名中47番という、最下位から2番目という結果でした。

一部の資料では「50人中47番」という記載もありますが、いずれにしても「ブービー賞」という厳しい現実からのスタートでした。

88期生は「優秀な受験生が多い期」とされており、紅ゆずるさん自身も「せっかく入ったからにはトップスターを目指したい」と語っていましたが、現実は非常に厳しいものでした。

しかし、この88期生からは後に2名のトップスターが誕生することになります。

同期との成績比較

紅ゆずるさんの同期である88期生には、多くの才能あふれる生徒がいました。

特に注目すべきは、後に宙組トップスターとなった朝夏まなとさんです。

朝夏まなとさんの入団時成績は10番/48名中と、紅ゆずるさんとは大きな差がありました。

その他の著名な同期には、元花組トップ娘役の桜乃彩音さん、元雪組男役の鳳翔大さん、元星組男役の麻尋しゅんさんなどがいます。

この期から2名のトップスターが誕生したことは、成績上位者と下位者の両方からトップが出たという意味で、宝塚史上でも稀な現象でした。

音楽学校在籍中も続いた下位成績

紅ゆずるさんの成績不振は入団時だけの話ではありませんでした。

劇団に入ると何回か試験があるのですが、紅ゆずるさんの成績は「ずっと下位」だったのです。

最終試験でも「組内最下位」だったという記録が残っています。

成績が低かった理由

なぜ紅ゆずるさんの音楽学校時代の成績がこれほど低かったのでしょうか。

最大の理由は、バレエと声楽の経験不足でした。

他の生徒の多くが幼少期から専門的な訓練を積んでいたのに対し、紅ゆずるさんは受験前の半年間しか正式なレッスンを受けていませんでした。

宝塚の成績は「バランスよく芝居・歌・ダンスができる」ことを示す指標とされており、基礎技術の差は成績に如実に表れました。

しかし、紅ゆずるさんには成績では測れない「宝塚への情熱」と「持ち前の個性」がありました。

成績下位でも諦めなかった紅ゆずるの音楽学校時代

劇団入団後の厳しい現実

宝塚歌劇団に入団した後も、紅ゆずるさんの苦難は続きました。

実力不足のため、ラインダンスにも入れてもらえない日々が続いたのです。

香盤(配役)が決まる試験のたびに下位成績を彷徨い、同期がちらほらと辞めていく中で、紅ゆずるさんは孤独な戦いを続けていました。

入団5年目には、最下級生と同じ場面にしか出演できないという屈辱的な状況に追い込まれました。

この時、紅ゆずるさんは初めて「退団」という文字が脳裏をよぎったと後に語っています。

存在すら否定されているかのような絶望的な気持ちになったのです。

絶対に諦めないという強い決意

それでも紅ゆずるさんが踏みとどまったのは、一つの強い決意があったからです。

「新人公演が終わるまでは、どんなに出番が少なくても宝塚にしがみつこう」と心に決めていたのです。

「宝塚に入っている自分が好きでしたし、内心では『いつか見ておれ!絶対にこの人たちが唸るほどのものをやってやる』という思いがありました」と紅ゆずるさんは振り返っています。

この不屈の精神が、後の大逆転劇の原動力となったのです。

転機となった2つの作品

紅ゆずるさんの音楽学校時代を含めた宝塚人生の大きな転機は、20代半ばに訪れました。

まず、宝塚バウホール公演『アンナ・カレーニナ』のオーディションで2番手役を勝ち取ったのです。

それまで「役らしい役」を獲得したことがなかった紅ゆずるさんにとって、これは画期的な出来事でした。

そして続く『スカーレット・ピンパーネル』の新人公演では、なんと主役に抜擢されました。

入団7年目、まさに「新人」と呼ばれる最後のチャンスでの大役獲得でした。

この作品が、紅ゆずるさんの宝塚人生を180度変えることになったのです。

紅ゆずるの成績と宝塚でのサクセスストーリー

小池修一郎との出会いと厳格な指導

『スカーレット・ピンパーネル』で紅ゆずるさんを指導したのは、演出家の小池修一郎さんでした。

小池さんは「とにかく厳しいことで有名」な演出家で、紅ゆずるさんにとって生涯の恩師となる人物です。

その指導は想像を絶する厳しさでした。

夜中の特訓で帰宅は深夜3時、4時になることも珍しくなく、毎日の睡眠時間は1時間半から2時間程度。

食事をする暇もないような状態が続きました。

「辞めてしまいなさい」「出ていきなさい」は日常茶飯事で、「あなたが新人公演の主役をするなんて、宝塚も終わりだ」と言われたこともありました。

しかし紅ゆずるさんは後に「あの時小池先生にしごかれなかったら、今の私はここにいません」と感謝を込めて語っています。

この厳しい特訓が、成績最下位だった紅ゆずるさんを真のスターへと押し上げたのです。

成績最下位からトップスターへの奇跡

2016年、紅ゆずるさんは星組トップスターに就任しました。

入団時成績47番から14年後のトップ就任は、まさに宝塚史上稀に見るサクセスストーリーでした。

近年の宝塚は成績重視の傾向が強まっていると言われる中、紅ゆずるさんの成功は「スター性は成績では測れない」ことを証明した象徴的な出来事でした。

トップとしての後輩への優しさ

トップスターとなった紅ゆずるさんは、自身の音楽学校時代の苦い経験を活かし、下級生たちに深い愛情を注ぎました。

まず香盤を確認し、出演できない下級生がいると、プロデューサーに「場面に出してもらえない下級生に出られない理由をきっちり伝えてあげてほしい。理由が分かれば、それを補う努力ができるから」と要請していました。

「与えられない苦しみを分かっているからこそ、その子たちを見守り支えることも私の役目だと感じていました」という紅ゆずるさんの言葉からは、成績下位で苦労した自身の経験が、優れたリーダーシップの源泉となっていることが分かります。

まとめ

紅ゆずるさんの音楽学校時代と成績について詳しく見てきました。

入団時成績48名中47番という最下位から2番目というスタートから、14年後にはトップスターに就任するという奇跡的なサクセスストーリーは、多くの人に勇気と希望を与えています。

紅ゆずるさんの音楽学校時代は決して順風満帆ではありませんでした。

わずか半年の受験対策、入団後も続いた成績不振、退団を考えるほどの絶望的な状況など、数々の困難を乗り越えてきました。

しかし、「宝塚への情熱」「諦めない心」「持ち前の個性」という、成績では測れない要素こそが、彼女を真のスターへと導いたのです。

紅ゆずるさん自身が語る「辛い時は、立ち向かわなくてもいい。逃げずに居続けたことが財産になる時がくる」という言葉は、成績や評価に悩むすべての人への力強いメッセージです。

現在も女優・タレントとして活躍を続ける紅ゆずるさんの今後の活動から、ますます目が離せません。

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