女優として数多くの作品に出演し、クールで知的なイメージを確立してきた天海祐希さん。
その原点である宝塚歌劇団時代には、姿月あさとさん、絵麻緒ゆうさん、鷹悠貴さん、卯城薫さんといった同期生との間に、今も語られる特別な関係性がありました。
天海さんが所属した宝塚73期生は、4人ものトップスターを輩出したことから「黄金世代」と呼ばれる期生です。
この記事では、天海祐希さんと73期同期生との関係に注目し、宝塚時代のエピソードから退団後の交流までを、一次資料をもとに整理していきます。
天海祐希は何期?宝塚時代の同期(73期生)と「黄金世代」と呼ばれる理由
天海祐希さんは宝塚歌劇団73期生です。
1987年に入団し、姿月あさとさん、絵麻緒ゆうさん、匠ひびきさんらと同期にあたります。
73期は4人のトップスターを輩出したことで「黄金世代」とも呼ばれています。
73期生が「黄金世代」と呼ばれる理由
天海祐希さんが所属していた宝塚歌劇団73期生は、ファンや関係者の間で「黄金世代」と呼ばれることの多い期生です。
その理由としてまず挙げられるのが、期生全体の層の厚さと、トップスターを複数輩出した実績にあります。
73期生は1987年に宝塚歌劇団に入団し、在籍者は42名。
その中から、4人ものトップスターが誕生したという点は、宝塚の長い歴史の中でも非常に印象的な出来事でした。
73期から輩出されたトップスター
- 天海祐希(月組トップスター)
- 姿月あさと(宙組初代トップスター)
- 絵麻緒ゆう(雪組トップスター)
- 匠ひびき(花組トップスター)
一般的に、一つの期からトップスターが1人、場合によっては2人誕生すれば“当たり年”とされることが多い中で、
4人のトップスターが同じ期から生まれた73期は、特別な存在として語られるようになりました。
当時の宝塚界でも「73期は粒ぞろい」「何か特別な期」と注目され、
その後、それぞれが各組を代表するスターとして活躍したことで、73期生は結果的に宝塚歌劇団の一時代を支える存在となっていきます。
天海祐希は宝塚何期?73期の同期一覧と現在
天海祐希さんは宝塚73期で、姿月あさとさん、絵麻緒ゆう(えまおゆう)さん、匠ひびきさんなどが同期にあたります。
ここでは73期生の主要メンバーとその現在の活動をご紹介します。
男役として活躍した主な同期生
- 姿月あさと
宙組初代トップスター。退団後はシンガー・舞台女優として活動を続けている。 - 絵麻緒ゆう(現:えまおゆう)
雪組トップスター。現在は舞台を中心に女優として活動。 - 匠ひびき
花組トップスター。退団後は芸能活動から距離を置き、別の道を歩んでいる。 - 鷹悠貴
月組で活躍した男役。娘が宝塚104期生として入団したことでも注目を集めた。 - 卯城薫
月組に所属し、天海祐希さんと同じ組で活動していた同期生。
娘役として活躍した主な同期生
- 朝吹南
月組娘役として活躍。 - 五条まい
雪組娘役として舞台を支えた存在。 - 青山雪菜
星組娘役。退団後は女優として舞台やコンサートに出演。 - 白帆まり
花組娘役として活躍。
多くのメンバーが退団後もそれぞれの道で活躍を続けています。
天海祐希の仲良し同期は誰?交流エピソード
天海祐希さんの同期の中で、特に交流エピソードが多く語られているのが、姿月あさとさん、絵麻緒ゆうさん、鷹悠貴さん、卯城薫さんです。
いずれも宝塚歌劇団73期生として同時代を過ごした人物であり、天海さんとの関係性は、本人の発言、周囲の証言などから確認できます。
以下では、それぞれの人物とのエピソードを通して、天海祐希さんが同期と築いてきた関係性を整理していきます。
姿月あさと|宝塚時代の代表的エピソード
天海祐希さんと姿月あさとさんは、宝塚ファンの間でも特に知られた同期の関係です。
舞台上の実績と個人的な信頼関係、その両方が語られる点で、73期生を象徴する関係とも言えるでしょう。
二人の交流が深まったきっかけの一つが、1993年の組替えです。
姿月さんが花組から月組へと組替えになった際、天海さんから
「楽しみに待ってるから!」
と電話があったというエピソードが伝えられています。
新しい環境に入る同期を、さりげなく迎え入れる天海さんらしさが感じられる場面です。
最も印象的なのは、1994年の月組公演『風と共に去りぬ』でしょう。
本公演でレット・バトラー役を演じたのが天海祐希さん、
そして新人公演で同じ役を務めたのが姿月あさとさんでした。
同期生が、本公演と新人公演という形で同じ大役を分かち合うケースは極めて珍しく、
互いの実力と信頼があってこそ成立した配役だったと考えられます。
姿月さんは後年のインタビューで、
「同期の天海祐希が自分の励みになっていました。すごく尊敬していました」
と語っており、競い合うだけでなく、互いを高め合う関係であったことがうかがえます。
宝塚歌劇団を退団した後も、天海祐希さんと姿月あさとさんの交流は続いています。
2013年5月、天海さんが軽度の心筋梗塞で入院したことが報じられた際、
姿月さんは舞台の稽古前に行われた取材の中で、その知らせを初めて聞いたと明かしました。(出典:デイリー)
「テレビで元気な姿を見ていたので本当にびっくりしました」と率直な驚きを語り、
「宝塚歌劇団退団後も、互いの舞台などを観に行く仲」であることも説明しています。
最近は連絡を取っていなかったとしながらも、
「連絡してみます」と話すなど、終始天海さんを気遣う様子が伝えられており、
同期として長年築いてきた関係性が、退団後も続いていることがうかがえる場面でした。
絵麻緒ゆう|退団後も続く交流(ブログ・電話)
天海祐希さんの同期の中でも、現在まで続く交流が具体的に確認できる存在が、絵麻緒ゆうさんです。
2020年5月、絵麻緒ゆうさんは自身のブログで、
天海さんと久しぶりに電話で話したことを明かしています。
「昨日久しぶりに同期のゆりちゃん(天海祐希)と電話で話したわ~」として、コロナ禍の中での近況報告を綴っています。
「お互いの近況報告しながら、大爆笑し 一瞬宝塚受験前、音楽学校の頃にタイムスリップした感じでした」という絵麻緒ゆうさんの言葉からは、30年以上経った今でも音楽学校時代と変わらぬ関係性が続いていることが分かります。
特に印象的なのは、「二人とも同じ歳で、未だに独身なので老後の心配も!?」「毎回電話の最後は必ず高齢者であるお互いの親の心配をお互いにして電話を切りました」という記述です。
これは単なる芸能界の付き合いを超えた、家族のような深い絆を示しています。
「ゆりちゃんもテレビで見る限りは元気そうだが、直接話すとより安心しました」という絵麻緒ゆうさんの言葉からは、天海さんを心から気遣う気持ちが伝わってきます。
宝塚を退団して長い年月が経った今も音楽学校時代の思い出を笑い合える関係が続いていることから、
天海祐希さんと絵麻緒ゆうさんの間には、特別な距離感が保たれていることがうかがえます。
鷹悠貴、卯城薫|ゆみ・ゆか・ゆりトリオ
天海祐希さんの「仲良し同期」を語るうえで、欠かせない存在が 鷹悠貴さんと 卯城薫さんです。
愛称の並びから、ファンの間では 「ゆみ・ゆか・ゆりトリオ」と呼ばれることもあります。
まず鷹悠貴さん(ユミちゃん)は、元月組の男役で天海さんの同期。
舞台や取材の場で明確なツーショットエピソードが多く語られるタイプではありませんが、
元月組の綾月せりさんが
「天海さんの同期でおられる鷹悠貴さんは、ファン目線で見ると、天海さんのおそばに寄り添ってサポートしている感じに見え、その関係に憧れていた」
と語っており(龍 真咲のMOONLIGHT PARTY)、
“常に隣にいる相棒的存在”として受け止められていたことが分かります。
一部では、天海さんと鷹さんが 「ツインズ」と呼ばれたこともあるとも言われています。
そして、より具体的エピソードが残っているのが、同期の 卯城薫さん(通称・ゆかちゃん)です。
天海さん自身が綴っていた「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載「おいら。」には、卯城さんが何度も登場します。
1999年11月19日の回は、タイトル自体が 「ゆかちゃん。」。
この回で天海さんは、卯城さんを「兄弟みたいなもん」と表現し、
さらに
「下町連合なんか作っちゃって、おいらの母上と、ゆかの母上も大の仲良し」
とまで書いています。
同期という枠を超え、家族ぐるみの関係だったことがはっきり伝わってきます。
2000年1月14日の回「カプリコと友人。」では、宝塚時代の楽屋で、ジャイアントカプリコをめぐって卯城さんと爆笑しながら壮絶な取り合いをした思い出が描かれています。
大人になってから振り返っても「なぜあんなに笑ったのか分からない」と書きつつ、
「大事な友達」という言葉で締めくくられているのが印象的です。
さらに2000年7月6日の回では、卯城さんの退団公演を観に行った際のエピソードとして、
お互いが同じテレビCM(ウナ クール)に反応し、
「やっぱり、あんたとは観る所が似てるよね」と大笑いした様子が綴られています。
天海さん自身も「きっと今後どんどん出てくるから覚えておいてね」と書いており、特別な存在であることを隠していません。
また、天海さんの退団時には、同期の卯城薫さんが胸ポケットに白い薔薇を入れたというエピソードも残っています。
こうして見ると、
- 鷹悠貴さん=そばで支え続けた「相棒」
- 卯城薫さん=日常も家族も共有した「兄弟のような存在」
- 天海祐希さん=その中心にいた「ゆりちゃん」
という関係性が浮かび上がります。
「ゆみ・ゆか・ゆりトリオ」は、単なる愛称ではなく、“天海祐希さんの宝塚時代を支えた同期関係”を象徴する呼び名だったのかもしれません。
音楽学校時代の「仲良し4人組」発言
天海祐希さんは「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で、音楽学校時代の特別な友情について語っています。
厳しい規律の中で、「本当は、おいらの同期もう一人と上級生2人の計4人は密かに仲良しであった」と回想。
この「陰でこそこそ仲良し」という表現からも、当時のシステムの厳しさがうかがえます。
天海さんはさらに、
「そんな時代を過ごし、お互い歌劇団に入団し、やっと晴れて仲良しこよしが、出来る事になった」
と述べており、入団後に公然と交流できるようになった喜びを表現しています。
天海祐希さんは、この「仲良し4人組」について、組や期が異なっていたことを示すヒントは残しつつも、具体的な名前には触れていません。
当時の音楽学校では、上下関係や規律が非常に厳しく、親しい関係を公にすること自体が難しかった背景もあり、あえて詳細を語らなかった可能性も考えられます。
具体的な4人の名前は公表されていませんが、天海さんにとって特別な存在だった同期生や上級生との絆が、その後の宝塚生活を支える大きな力となったことがうかがえます。
まとめ|天海祐希と73期生の関係が今も語られる理由
天海祐希さんと宝塚73期同期生の関係は、宝塚歌劇団という特別な環境の中で育まれた、人と人とのつながりとして語られてきました。
音楽学校時代の厳しい規律のもとで「仲良し」だった仲間たちは、それぞれがトップスターとして活躍した後も、折に触れて名前が並び、関係性が語られています。
競争の厳しい世界で同じ時代を過ごした73期生が、30年以上を経た現在も互いの歩みを意識し続けていることは、宝塚という場所で培われた人間関係の特徴をよく表していると言えるでしょう。
それぞれが異なる道を歩んだ今も、73期生の名前が並んで語られる背景には、単なる同窓生という言葉では収まりきらない関係性があるのかもしれません。



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