元宝塚月組トップスター、現在は日本を代表する女優として活躍する天海祐希さん。
その洗練された佇まいと品格から「実家がお金持ちなのでは?」という噂が絶えません。
しかし、実際の出身地は東京・東上野の下町。
一体、天海祐希さんの実家は金持ちだったのでしょうか?
家族構成から宝塚時代の教育費、そして最近明かされた実家の驚きの実態まで、詳しく調査しました。
【実家の基本情報】天海祐希が育った下町・東上野の環境
東京都台東区東上野という立地の特徴
天海祐希さんが生まれ育ったのは、東京都台東区東上野。
JR上野駅からほど近い、いわゆる「下町」と呼ばれるエリアです。
このあたりは都心でありながら、昔ながらの東京の雰囲気が色濃く残る場所。
高級住宅街とは程遠い、庶民的な街並みが広がっています。
天海さん自身も「生粋の江戸っ子」と語るように、この下町で培われた人情味あふれる環境が、彼女のサバサバした性格の土台になったのかもしれませんね。
下町の人情豊かな環境で育つ
台東区東上野は、義理人情に厚い下町として知られています。
天海さんもこの環境で、近所の人たちとの温かいつながりの中で育ちました。
こういう環境で育ったからこそ、天海さんには庶民的な親しみやすさと、困った人を放っておけない正義感が備わったのでしょう。
宝塚時代から現在まで一貫して見せる、飾らない人柄の原点がここにあります。
報道によると:実家はビル一棟所有の事実
ところが、2024年に衝撃的な事実が報道されました。
NEWSポストセブンの取材によると、天海さんのご実家は街の中心部からほど近いビルの最上階にあり、このビル全体が天海家の所有物だったそうです。
兄は結婚後もこのビルの別の部屋に住んでいて、いわば2世帯同居のような形だったとのこと。
下町の庶民的なイメージとは裏腹に、しっかりとした不動産を所有する資産家だったことになります。
これは確かに「お金持ち」の証拠と言えるでしょう。
【家族の職業と経済力】両親が経営者だった事業家一家
父親:建築関係の自営業で地域に根差した仕事
天海さんの父親・中野重義さんは、建築関係の自営業を営んでいました。
家業は下町に根ざしており、地域の信頼を得ていたようです。
地元住民の証言によると、祖父が大工の棟梁だったという話もあり、建築業は代々受け継がれた家業だったのかもしれません。
天海さんが幼い頃、父親が関わった建物に住んでいた方もいるそうで、地域に根ざした信頼できる業者だったことがわかります。
残念ながら重義さんは2007年に肺炎で亡くなられましたが、天海さんと母親は今でも父親の遺骨をダイヤモンドに加工して身につけているそうです。
母親:祖母から受け継いだ美容院経営
一方、天海さんの母親は祖母の代から続く美容院を経営していました。
母親は家業を継ぐために、生まれたばかりの長男(天海さんの兄)をおんぶしながら美容学校に通ったという、努力家のエピソードも。
美容院は技術職でもあり、経営が軌道に乗れば安定した収入が見込める商売です。
特に地域密着型の美容院なら、常連客に支えられて長く続けられるでしょう。
兄弟の現在:建築業継承とテレビ局勤務との噂
天海さんには2歳年上の兄と7歳年下の弟がいます。
報道によると、兄は父の後を継いで建築会社を経営し、一級建築士の資格も持っていたそうです。
町内会の副会長や地元神社の総代も務めるなど、地域の重要人物でしたが、2024年10月下旬に59歳という若さで亡くなられました。
一方、弟については読売テレビの社員という情報もありますが、確実な情報ではありません。
ただ、現在でも弟は月1回ほど天海さんの自宅に泊まりに行くほど仲が良く、家族の絆の深さを感じさせます。
【宝塚教育への投資】「お金持ち説」を裏付ける教育費の実態
宝塚音楽学校の学費は2年で171万円
天海さんが「お金持ちの家の子」と言われる最大の理由が、宝塚歌劇団出身であることです。
宝塚音楽学校の公式資料によると、学費の高額さに驚かされます。
天海さんが入学した1985年当時でも、入学金や教育施設費などで48万円、2年間の授業料が120万円、その他雑費3万円で、合計171万円が必要でした。
これに制服代、袴代、稽古着代などが別途かかります。
一般的なサラリーマン家庭では、なかなか出せない金額ですよね。
これを負担できる経済力があったということは、確実に裕福な家庭だった証拠です。
受験準備期間の高額レッスン費用
さらに、宝塚音楽学校に合格するためには、事前の準備が必須です。
宝塚受験スクールの費用はスクールや受講頻度によって大きく変動しますが、月謝だけでも1.8万円から3.8万円程度、特別講習や個人レッスンを含めると年間数十万円から100万円を超えるケースもあります。
天海さんの場合、中学時代に担任の先生から宝塚入りを勧められたものの、本格的な準備を始めたのは高校生になってから。
それでも相当な費用がかかったはずです。
バレエ教室「大滝愛子バレエ・アート」での特訓
天海さんが通ったのは「大滝愛子バレエ・アート」という、宝塚歌劇団のバレエ講師も務める大滝愛子さんが主宰する教室でした。
ここは多くのタカラジェンヌを輩出している名門で、当然レッスン料も高額です。
高校時代にこうした専門的なレッスンを受けられたということは、家庭に十分な経済的余裕があったことを物語っています。
これを「娘の夢のため」と惜しみなく投資できる家庭だったんですね。
【家族愛のエピソード】お金では計れない絆の深さ
父親の遺骨をダイヤモンドに加工して身につける
天海さんのエピソードで最も印象的なのが、2007年に亡くなった父親の遺骨をダイヤモンドに加工して、母親と一緒に身につけているということです。
これは天海さん自身がテレビ番組で語っていることです。
遺骨ダイヤモンドの製作費用は、一般的に数十万円から数百万円かかります。
経済的に余裕がなければできないことですが、何よりも「いつも父と一緒にいられる」という気持ちを形にした、愛情深い行為ですよね。
亡くなってから17年経った今でも、父親への思いは変わりません。
兄の突然の死去(2024年10月)と家族の結束
2024年10月下旬、天海さんにとって最愛の兄が59歳で亡くなりました。
報道によると、数年前から闘病していたそうですが、最期は病院ではなく自宅で静かに息を引き取ったそうです。
兄の葬儀には、生前兄がよく着ていた神社の法被を着た人たちが何人も集まり、まるで兄も一緒にいるかのような温かい雰囲気だったとか。
地域の人々に愛され、信頼されていた兄の人柄がしのばれます。
天海さんは舞台の稽古中に兄の訃報を受けましたが、周囲に迷惑をかけないよう涙一つ流さずに稽古に集中したそう。
プロ意識の高さと同時に、家族への深い愛情を感じさせるエピソードです。
弟との現在も続く深い絆
7歳年下の弟とは、幼い頃から特に仲が良かったという天海さん。
宝塚時代には、客席にいる弟に向かってウインクを送っていたという微笑ましいエピソードも。
現在でも弟は月1回程度、天海さんの自宅に泊まりに来るそうです。
57歳の姉と50歳の弟が今でもこんなに仲良しなんて、素敵な家族関係ですよね。
まとめ
天海祐希さんの実家は確かに「裕福」でしたが、「超富裕層」というより「経済的に恵まれた中流上位家庭」が正確な表現でしょう。
両親の自営業による安定した収入と、報道によるとビル所有という資産もあったため、宝塚という特殊な教育への投資が可能でした。
しかし何より印象的なのは、お金以上に家族の絆を大切にする温かい家庭で育ったことです。
父親の遺骨をダイヤモンドにして身につけたり、兄弟との関係が今でも続いていたりと、愛情深いエピソードに事欠きません。
現在も女優として第一線で活躍する天海さんの成功の原点には、下町の人情と両親の愛情、そして堅実な自営業者精神があったのです。
「お金持ちの家の子」というより、「愛情とお金の両方に恵まれた家の子」と表現する方が、天海さんの人となりをより正確に表しているのかもしれませんね。
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