元宝塚歌劇団月組・星組トップ娘役として活躍し、現在は女優として幅広く活動する檀れいさん。
その美貌と存在感で多くの人を魅了してきた一方で、歌唱力については長年にわたって賛否両論の声が絶えません。
2025年には『檀れい・シングス・ディズニー』で歌手デビューを果たし、NHK「うたコン」への出演でも話題となりましたが、
SNSでは「歌が下手」という辛辣な意見から「思ったより上手い」という擁護的な声まで、様々な反応が見られました。
しかし、これらの評価は本当に公平で適切なものなのでしょうか。
檀れいさんの歌唱を巡る議論の背景には、宝塚時代からの複雑な文脈が存在します。
本記事では、入団時から現在まで約30年間の歌唱に関する評価を作品別に整理し、その変遷を客観的に検証していきます。
「歌が下手?」論の出どころ
檀れいさんの歌唱力に対する否定的な評価の起源は、宝塚音楽学校時代にまで遡ります。
1992年、第78期生として入団した際の成績は40人中40位、つまり最下位でした。
本人も後に「人の後ろを必死についていくような感じでした」「劣等感しかなかった」と当時を振り返っています。
この最下位からの出発という事実が、後の「歌が下手」という評価の土台となったと考えられます。
宝塚では入団時の成績が話題になることが多く、檀れいさんの場合は特に、その後の異例の大抜擢との対比で語られることが多くなりました。
1999年、入団7年目で月組トップスター真琴つばささんの相手役として突如トップ娘役に抜擢された際、「シンデレラガール」と話題になる一方で、同期や先輩からの猛烈ないじめを受けたとも報道されています。
この時期、歌や踊りの実力不足を指摘する声が特に大きくなったとされています。
宝塚ファンのブログには「檀れいさんを見るたびに、彼女が異例の大出世で月組トップ娘役になった時ずいぶんといじめられて落ち込み、真琴つばささんから、歌や踊りと違って努力しても手に入らない生まれ持っての美しさに『自信を持ちなさい』と言われた」というエピソードが記録されており、当時から歌唱力よりも美貌が評価軸の中心だったことが窺えます。
また、宝塚には「美貌の娘役には歌唱力がない」という「あるある」的な傾向があるとされ、檀れいさんはその代表例として挙げられることが多くなりました。
しかし、これらの評価が果たして公正なものだったのかについては、作品別の検証が必要です。
作品別の評価(コーラス/ソロ)
月組トップ娘役時代(1999-2001年)
真琴つばささんとのコンビ時代の代表作『うたかたの恋』(1999年)では、「もし私がこの世界を描ける画家であったならこの真琴つばささん、檀れいさんの美しい姿をそのままキャンパスに描きたい!」という絶賛の声が残されています。
ただし、これは主に視覚的な美しさに対する評価で、歌唱面への具体的な言及は限定的でした。
興味深いのは、宝塚ファンの間で「コンビ時代、決して仲良しこよしな雰囲気ではありませんでした。檀れいさんは顔だけ、実力無し無し、のタイプでした」という厳しい評価がある一方で、
「CS放送でトップ時代の作品が放送され、楽しみに見ていると、生で観ていた時の印象よりも歌がちょっと良く聞こえる」という再評価の声もあることです。
専科・星組時代の代表作
『風と共に去りぬ』(2002年)メラニー役
専科での当たり役とされるメラニー役では、「アシュレ-湖月わたる-&メラニー-檀れい-この二人だけが、す~っと白い雰囲気で、二人の世界を築いていました」との評価を受けました。
メラニー役は歌唱シーンが比較的少ない役柄のため、演技面での評価が中心となりましたが、舞台全体の調和における貢献が認められています。
『王家に捧ぐ歌』(2003年)アムネリス役
星組トップ娘役お披露目公演となったこの作品では、より複雑な評価が見られます。
「豪華な衣装で、とってもキレイ」「圧倒的な美を表現」との視覚面での絶賛がある一方、歌唱面では「檀れいがあまり得意ではなかったけれども、こちらも力技で歌い切った」という評価でした。
しかし注目すべきは、ファンから「檀ちゃんのナンバーでは『ファラオの娘だから』が一番好きです」という具体的な楽曲への言及があることです。
また、後の再演との比較では「どうしても初演の檀れいのイメージが消えない」「檀れいの迫力には勝てなかった」との声もあり、歌唱力以外の総合的な表現力が高く評価されていたことが分かります。
『花舞う長安 -玄宗と楊貴妃-』(2004年)楊貴妃役
この作品は檀れいさんの歌唱を語る上で特別な位置を占めます。
中国公演で披露した中国語での「永遠」という楽曲により「楊貴妃の再来」と現地で絶賛され、宝塚退団時のサヨナラショーでも同曲を中国語歌詞で歌いました。
「花の長安〜♪と歌う楊貴妃の檀れいさん登場!」という観劇レポートからも、楊貴妃役での歌唱シーンが印象的だったことが窺えます。
中国語という特殊な言語での歌唱が評価されたことは、単純な「歌が下手」という評価では説明できない側面を示しています。
退団後の活動
NHK中国語講座・うたコン出演
退団後もNHK中国語講座でテレサ・テンの「甜蜜蜜」「月亮代表我的心」、ディズニー映画「ムーラン」の主題歌を披露し、多言語での歌唱能力を継続的に発揮しました。
2025年のNHK「うたコン」出演では、SNSで「檀れい、歌下手すぎ」という批判的な声がある一方で、「井上芳雄より上手い」という擁護的な意見も見られ、評価が分かれました。
『檀れい・シングス・ディズニー』(2025年)
歌手デビュー作となったこのアルバムでは、専門誌から「曲によっては台詞も入って、彼女の演技力と歌唱力が存分に発揮されている」という評価を受けました。
Amazonでは5.0の高評価を獲得し、「どの楽曲からも檀れいの異なる一面が感じられる、魅力あふれる一作」との評価も得ています。
声質・表現の強み
檀れいさんの歌唱を客観的に評価するためには、技術的な巧拙だけでなく、声質や表現力の特徴を理解する必要があります。
宝塚歌唱力論争を扱ったブログでは、歌が不得手なタイプを「音程が取れない型」「リズム感がない型」「悪声型」に分類し、
檀れいさんについて「少なくとも私は『みんなが言うほど歌下手ではないのでは?』と思っています」という擁護的な見方を示しています。
同ブログは、宝塚で重要なのは「普通に聞ける」レベルであり、「宝塚という夢から覚めてしまうほど聞くに堪えないレベル」でなければ十分だとの見解を示しています。
檀れいさんの場合、「歌が下手な部分もあるけれども、男役芸の足を引っ張らない程度の実力があり、最終的には自身の魅力で観衆に気にしなくさせる程度」のレベルにあったと評価されています。
また、現在の活動について本人は「感覚を思い出したというか、やっぱり歌はいいな、音楽の力って素晴らしいな」とコメントしており、歌唱に対する積極的な姿勢を見せています。
ディズニーアルバムでは演技力と歌唱力を組み合わせた表現が評価されており、台詞を含む楽曲での表現力に特に定評があります。
声質的には、中国語での歌唱が現地で高く評価されたことから、多言語対応能力や独特の音色を持っていることが推測されます。
また、「とっても綺麗な声」「セリフを言う時の声がとても綺麗で可愛かった」という声に関する肯定的な評価も記録されています。
まとめ
檀れいさんの歌唱を巡る評価を時系列で整理すると、明確な変遷パターンが見えてきます。
宝塚入団期(1992-1999年):「成長期」
最下位からのスタートで厳しい評価を受けながらも、継続的な努力により「普通に聞ける」レベルまで到達。この時期の評価は主に技術的な向上に注目したものでした。
トップ娘役期(1999-2005年):「論争期」
異例の抜擢により注目が集まる中で、「美貌vs実力」という文脈で語られることが多くなった時期。批判的な声が最も大きくなった一方で、中国公演での成功など、特定分野での高評価も獲得しました。
退団後(2005-2024年):「再評価期」
宝塚から離れることで、歌唱力以外の総合的な表現力に注目が集まるようになった時期。中国語講座での歌唱など、特殊な能力が再評価されました。
現在(2025年-):「統合期」
歌手デビューにより、演技力と歌唱力を組み合わせた独自のスタイルが確立された時期。技術的な巧拙よりも、総合的な表現者として評価される傾向が強まっています。
重要なのは、檀れいさんの歌唱に対する評価が、常に宝塚という特殊な世界の価値観や期待値の中で行われてきたことです。
「美貌の娘役には歌唱力がない」という偏見的な見方や、入団時の成績という過去の事実に引きずられた評価も少なくありません。
一方で、中国語での歌唱成功や、現在のディズニーアルバムでの評価を見ると、檀れいさんには確実に歌唱者としての素質と成長があることも明らかです。
最終的には、技術的な完璧さよりも、自身の個性を活かした表現力こそが、檀れいさんの歌唱における真の価値だと言えるでしょう。
約30年間の評価の変遷を見ると、檀れいさんは決して「歌が下手」な表現者ではなく、独自のスタイルを持った総合的なパフォーマーとして成長し続けていることが分かります。
今後も、その美しい声と表現力で、多くの人々を魅了し続けることでしょう。
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