紅ゆずるの出身中学校・高校はどこ?学歴と部活・モテエピソードも

宝塚

元宝塚歌劇団星組トップスターの紅ゆずるさんは、現在も舞台女優として精力的に活動され、多くのファンに愛され続けています。

宝塚時代から持ち前のコメディセンスと大阪弁で観客を魅了してきた紅ゆずるさんですが、その魅力的な人柄はどのような学生時代を経て培われたのでしょうか。

今回は、紅ゆずるさんの出身中学校や高校について詳しく調査し、学歴から見える宝塚トップスターへの軌跡をたどってみます。

意外にも「劣等生」だった宝塚音楽学校時代から、異例のトップスター就任まで、その背景には学生時代の経験が大きく影響していたことが分かります。

紅ゆずるのプロフィール

紅ゆずるさんは1982年8月17日生まれ、大阪府大阪市出身の女優です。

本名は松本紗由美(まつもと さゆみ)さんで、愛称は「さゆみ」「さゆちゃん」「ゆずるん」「べに子」など、ファンから愛情を込めて様々な呼び方で親しまれています。

身長173cm、血液型A型の紅ゆずるさんは、2002年に宝塚歌劇団に88期生として入団し、星組に配属されました。

入団当初は成績が48名中47番という「劣等生」でしたが、持ち前の努力と才能で徐々に頭角を現し、2016年に34歳という比較的遅い年齢で星組トップスターに就任。

2019年10月に相手役の綺咲愛里さんとともに退団した後は、松竹エンタテインメントに所属し、舞台を中心とした女優活動を続けています。

紅ゆずる 出身中学は大阪市立阪南中学校

紅ゆずるさんの出身中学校は、大阪市内にある公立校の「大阪市立阪南中学校」です。

この中学校は大阪府大阪市に位置し、紅ゆずるさんが在学していた当時、興味深いことに桑名正博さんとアン・ルイスさんの息子でミュージシャンの美勇士さんが1学年上に在籍していました。

紅ゆずる 中学校時代は、既にボーイッシュな風貌が特徴的だったそうです。

最も有名なエピソードは、大阪市の戎橋でお姉さんにナンパされたという話です。

当時の紅ゆずるさんがあまりにも男の子のような外見だったため、そのお姉さんに「ボク~何歳?」と声をかけられたそうです。

紅ゆずるさんが「ボクちゃうわ、女や」と大阪弁で返答すると、そのお姉さんは非常に驚いたというエピソードがあります。

このエピソードは、後に紅ゆずるさんがバラエティ番組に出演した際に明かされ、その天然で面白い人柄を表すエピソードとして親しまれています。

中学3年生の時には、人生で初めて宝塚歌劇団の舞台を実際に鑑賞したそうです。

小学5年生の時にテレビで宝塚を見て衝撃を受けていた紅ゆずるさんにとって、この初めての生舞台鑑賞は、宝塚音楽学校受験への意志をさらに固める重要な体験となりました。

紅ゆずる 高校は東大谷高等学校で宝塚受験に挑戦

紅ゆずるさんの出身高校は、大阪府堺市南区にある私立の「東大谷高等学校」です。

この高校は1909年に開校された歴史ある仏教系の私立高校で、紅ゆずるさんが在学していた当時は女子校でした(2013年に男女共学化)。

偏差値は54程度で、当時は普通科のみが設置されていました。

現在は特進コース(偏差値60)や国際コース(偏差値58)なども設けられています。

紅ゆずる 高校時代は帰宅部で、部活動には参加していませんでした。

この頃には既に身長が170cmを超えており、そのスタイルの良さと独特な魅力で女子生徒からとても人気があったそうです。

紅ゆずるさん自身もインタビューで「女の子にめちゃめちゃモテましたね。ファンがいて歩いていると手を振ってくるんです。親友は異質な存在だったといってました」と振り返っています。

高校の所在地は天王寺・阿倍野警察署の裏にあり、紅ゆずるさんの遊び場は大阪・ミナミだったそうです。

高校時代の最も重要な出来事は、宝塚音楽学校への受験でした。

実は、紅ゆずるさんは小学校時代から宝塚歌劇団に憧れを抱いていましたが、両親からは強く反対されていました。

その理由は、紅ゆずるさんが子供の頃から飽きっぽい性格で、剣道や柔道もすぐに辞めてしまった経験があったためです。

宝塚音楽学校は中学3年生から高校3年生までの4回しか受験できないという制限がありますが、両親は「絶対に落ちる。落ちたらこの子は立ち直れないかも」という理由で受験を認めませんでした。

しかし、連日宝塚歌劇のテレビ録画を見て独学で踊りや振り付けを勉強する娘の姿を見て、両親も高校3年次の1回だけ受験を許可しました。

紅ゆずるさんはわずか1か月間だけクラシックバレエと声楽を習い、2000年2月に宝塚音楽学校を受験。

驚くべきことに一発合格を果たしました。

受験時のエピソードも興味深く、2次試験では自ら「わたしの特技を聞いてください!」と面接官に訴えて俳句を披露したそうです。

しかし、この俳句は実は特技でも何でもなく、季語も入っていない即興のものでした。

面接官の反応は芳しくなく、紅ゆずるさん自身も「撃沈した」と感じたそうです。

また、最終面接では他の受験生が緊張する中、紅ゆずるさんは面白い話をして周りの受験生を笑わせていたというエピソードもあります。

学生時代から見える紅ゆずるの人柄

紅ゆずるさんの現在の魅力である大阪愛とコメディセンスは、まさに学生時代に培われたものです。

小学校時代から、土曜日は学校から帰宅すると、お好み焼きを食べながら吉本新喜劇を見るのが定番でした。

特にチャーリー浜さんの大ファンで、「ごめんクサい」というギャグを学校でも真似していたそうです。

この経験が、後の紅ゆずるさんの関西弁とコメディセンスの基礎となっています。

中学・高校時代を通じて、紅ゆずるさんは既に「異質な存在」として注目される人物でした。

ボーイッシュな外見ながらも、持ち前の明るさと面白さで周囲を魅了する才能は、この頃から発揮されていたようです。

大阪弁を「プラス思考になるためのスーパー武器」と表現する紅ゆずるさんの価値観も、この大阪での学生生活で形成されました。

「どうしよう…ではなく、どうにかなるやん!」という前向きな考え方は、後の宝塚での困難を乗り越える原動力となったのです。

宝塚入団から現在まで

東大谷高校から宝塚音楽学校に進学した紅ゆずるさんですが、音楽学校での成績は48名中47番という「劣等生」でした。

2002年に宝塚歌劇団に入団した際も、入団時の成績は47番と決して優秀ではありませんでした。

入団当初は役がつかない時期が長く続き、入団5年目には最下級生と同じ場面にしか出場できないという屈辱を味わい、初めて「退団」という文字が脳裏をよぎったそうです。

しかし、学生時代から培った粘り強さと前向きな精神力で、紅ゆずるさんは徐々に頭角を現していきました。

転機となったのはバウホール公演『アンナ・カレーニナ』の二番手男役抜擢で、その後7年目に『スカーレット・ピンパーネル』新人公演で主演に抜擢されました。

2016年には34歳という比較的遅い年齢で星組トップスターに就任し、「劣等生からトップへ」という異例の経歴を成し遂げました。

現在は舞台女優として『アンタッチャブル・ビューティー』『あなたに会えてよかった』などの作品に出演し、学生時代から愛してきたコメディーを中心に活躍しています。

韓国時代劇ドラマ『于氏王后』への出演や、バラエティ番組への出演など、多方面での活動も精力的に行っています。

まとめ

紅ゆずるさんの出身中学校は大阪市立阪南中学校、高校は東大谷高等学校であることが分かりました。

大阪市内の公立中学から私立高校へ進学し、そこから宝塚音楽学校への一発合格を果たした紅ゆずるさんの学歴は、決して特別なエリートコースではありませんが、大阪で培った人間性と前向きな精神力が現在の活躍の礎となっています。

学生時代のエピソードからは、現在の紅ゆずるさんの魅力である関西弁、コメディセンス、そして困難に負けない強さの源泉を垣間見ることができます。

宝塚時代の「劣等生」から異例のトップスター就任、そして現在の女優としての活躍まで、一貫して「どうにかなるやん!」の精神で歩み続ける紅ゆずるさんの姿は、多くの人に勇気と希望を与えています。

出身中学・高校での経験が、まさに現在の紅ゆずるさんの魅力の源泉となっているのです。

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