宝塚歌劇団の歴史において、入団時の成績47番(48人中)からトップスターに上り詰めた紅ゆずるさんの物語は、まさに現代のシンデレラストーリーと言えるでしょう。
2016年の星組トップスター就任から2019年の退団まで、相手役の綺咲愛里さんとともに「パッサァコンビ」として多くのファンに愛されました。
なぜ劣等生だった紅ゆずるさがトップに選ばれたのか?
二番手時代はどのような試練があったのか?
そして同期の朝夏まなとさんやあーちゃんこと綺咲愛里さんとの関係性はどうだったのか?
本記事では、紅ゆずるさんの宝塚人生を年表とともに詳しく解説していきます。
1. 紅ゆずる トップ就任への道のり【年表で振り返る】
入団から下積み時代(2002年〜2011年)
2002年:宝塚歌劇団に88期生として入団。
入団時の成績は47番と下位でした。
同期には後に宙組トップスターとなる朝夏まなとさんがいましたが、朝夏さんが花組で期待の新人として注目される一方、紅ゆずるさんは星組で長い間役のつかない時期を過ごしました。
2008年:転機となったのは「THE SCARLET PIMPERNEL」での新人公演主演。
これは新人公演最終学年でのラストチャンスでの抜擢でした。
入団から6年、ようやく光が見えた瞬間でした。
2011年:バウホール・東上公演「メイちゃんの執事」で初主演を果たし、本格的に頭角を現し始めます。
二番手として飛躍(2012年〜2016年)
2012年:涼紫央さんの退団に伴い、星組の2番手に就任。
「宝塚ジャポニズム」で初めて2番手羽根を背負いました。
この頃から紅ゆずるさんの独自のコメディセンスが注目され始めます。
2014年:全国ツアー「風と共に去りぬ」で主演を務め、2番手としての実力を証明。
しかし、この時期は柚希礼音さんがトップスターとして君臨しており、紅ゆずるさんの2番手期間は異例の長さとなりました。
2016年11月21日:ついに星組トップスター就任。
15年という長い年月を経ての悲願達成でした。
同期の朝夏まなとさんが2015年に宙組トップスターに就任していたため、88期生から2人のトップスターが誕生するという快挙となりました。
2. 紅ゆずる なぜトップになれたのか?【3つの理由】
①コメディ路線の戦略的選択
紅ゆずるさん自身がインタビューで語ったところによると、「宝塚にコメディをやる人がいなかったので、意図的にそのポジションを狙った」とのこと。
当時の宝塚歌劇団にはシリアスな演技を得意とするスターは多くいましたが、本格的なコメディができる男役は珍しく、紅ゆずるさんはその空白を埋める存在として重宝されました。
②諦めない努力と継続力
入団時の成績47番という劣等生的なスタートにも関わらず、紅ゆずるさんは睡眠時間を削って自己練習を続けました。
役のつかない時期も腐ることなく、常に向上心を持ち続けた姿勢が、最終的にトップの座を射止める原動力となったのです。
③唯一無二の個性と愛されキャラ
紅ゆずるさんの最大の武器は、そのキャラクター性でした。
真面目で実直でありながら、どこかコミカルで親しみやすい人柄は、ファンだけでなく劇団関係者からも愛されました。
この「愛されキャラ」こそが、長期間の2番手時代を支え、最終的にトップ抜擢につながったと考えられます。
3. 紅ゆずる 二番手時代の試練と成長
紅ゆずるさんの2番手時代は約4年間という異例の長さでした。
この期間中、特に注目すべきは柚希礼音さんとの関係性です。
柚希さんは「10年に一度の逸材」と言われた伝説的なトップスターで、6年間という長期政権を築いていました。
紅ゆずるさんは柚希さんの2番手として、時には真風涼帆さんとダブル2番手体制で星組を支えました。
この時期は「がなり芝居」と評されることもあり、決して平坦な道のりではありませんでした。
しかし、この試練の時期があったからこそ、後のトップ時代の包容力と人間的な魅力が培われたのです。
柚希礼音さんとの関係について、紅ゆずるさんは「一生親友」と語っており、先輩トップからの薫陶を受けながら成長していった様子がうかがえます。
4. 紅ゆずる 相手役に綺咲愛里を指名した理由
2016年のトップ就任と同時に、相手役として綺咲愛里さんがトップ娘役に就任しました。
この人事について興味深いのは、紅ゆずるさん自身が「綺咲愛里さんでお願いします」と劇団に申し出たというエピソードです。
綺咲愛里さんは1991年10月30日生まれ、兵庫県川西市出身の96期生。
愛称は「あーちゃん」で、入団時の成績は17番と上位でした。
2010年に月組「THE SCARLET PIMPERNEL」で初舞台を踏み、その後星組に配属。
2014年に新人公演初ヒロインを務めるなど、期待の娘役として成長していました。
なぜ紅ゆずるさんが綺咲愛里さんを指名したのか?
それは、お互いの芸風の相性と人間性の相性が抜群だったからです。
紅ゆずるさんのコメディセンスを理解し、それを引き立てることができる娘役として、あーちゃんこと綺咲愛里さんは最適な相手役だったのです。
5. 紅ゆずる コンビ名「パッサァ」誕生秘話
紅ゆずるさんと綺咲愛里さんのコンビ名「パッサァ」は、GRAPH誌でのインタビューが誕生のきっかけでした。
読者から「トップコンビ名の略し方」について質問された紅ゆずるさんが、「パッサァと呼んで」と答えたのが始まりです。
この「パッサァ」という名前の由来は非常にユニークです:
- 「パ」:二人が大好きなパスタの「パ」
- 「さ」:紅ゆずるさんの愛称「さゆみ」の「さ」
- 「あ」:綺咲愛里さんの愛称「あーちゃん」の「あ」
このコンビ名は、二人の仲の良さと親しみやすさを表現しており、ファンの間でも愛用されました。
他にも「べにあー」「さゆあい」などの呼び方もありましたが、公式に使われたのは「パッサァ」でした。
興味深いのは、この「パッサァ」ブランドが退団後も継続していることです。
2025年には「紅ゆずる&綺咲愛里ディナーショー『以心伝心〜パッサァの軌跡〜』」が開催予定で、退団から6年経った今でも二人の絆とファンとの絆が続いていることを物語っています。
まとめ
紅ゆずるさんのトップスター就任は、単なる偶然ではなく、長年の努力と戦略的な自己プロデュース、そして運命的な出会いが重なった結果でした。
入団時47番という劣等生から15年かけてトップに上り詰めた背景には、コメディという独自路線の確立、諦めない継続力、そして人を引きつける魅力的な人間性がありました。
相手役の綺咲愛里さんとの「パッサァコンビ」は、宝塚歌劇団史上でも特別な存在として記憶されています。
二人の関係性は舞台上だけでなく、プライベートでも本物の信頼関係で結ばれており、それが観客にも伝わったからこそ、多くの人に愛され続けているのでしょう。
紅ゆずるさんの物語は、どんな困難な状況からでも、努力と個性、そして良き仲間との出会いがあれば夢を叶えることができるということを教えてくれます。
あーちゃんこと綺咲愛里さんとの友情、88期生の同期との絆、そして二番手時代に培った人間力。
これらすべてが組み合わさって、唯一無二のトップスター・紅ゆずるさんが誕生したのです。
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