元宝塚歌劇団月組のトップスターとして多くのファンを魅了し、現在も女優・歌手として精力的に活動する真琴つばささん。
宝塚史上初めて同期生4人が同時期にトップスターを務めた伝説の「華の71期生」の一員として知られています。
そんな真琴つばささんの年齢や本名、出身地、何期生なのか、そして学歴まで、ファンなら知っておきたいプロフィール情報を詳しくご紹介します。
意外なエピソードも満載で、真琴つばささんの人となりがより深く理解できる内容となっています。
真琴つばさの基本プロフィール(年齢・本名・血液型)
年齢は現在60歳
真琴つばささんは1964年11月25日生まれで、2025年現在60歳です。
星座は射手座で、血液型はA型。
還暦を迎えられましたが、その美貌と凛とした佇まいは年齢を感じさせません。
本名は保川真名美
真琴つばささんの本名は保川真名美(ほがわ まなみ)です。
宝塚歌劇団時代の愛称は「マミ」で、これは本名の「真名美」から取られたものでした。
同期生や先輩・後輩からも親しみを込めて「マミ」と呼ばれていたそうです。
芸名の「真琴つばさ」は、宝塚歌劇団の伝統に従って命名されたもので、「真琴」には誠実さを、「つばさ」には大きく羽ばたいてほしいという願いが込められています。
真琴つばさの出身地と生い立ち
出身は東京都品川区
真琴つばささんの出身地は東京都品川区です。
実家は商店街で化粧品店を経営しており、舞台や音楽とは直接的な縁がない環境で育ちました。
一人っ子として生まれ、特におばあちゃん子だったというエピソードが残っています。
幼少期から見せていたリーダーシップ
子供の頃から姐御肌で、場を仕切るのが好きな性格だった真琴つばささん。
小学校時代には、なんと実家の化粧品店の商品をクラスメイトに売って小遣いを稼いでいたという驚きのエピソードもあります。
また、家から銭湯まで側転しながら行くのが好きだったり、ドラマ「水戸黄門」のオリジナル台本を自分で書いていたりと、子供の頃からエンターテイナーの片鱗を見せていました。
宝塚への憧れが芽生えたのは小学校5年生の時。
親友に誘われて観た「ベルサイユのばら」に魅せられ、宝塚歌劇団への夢を抱くようになったのです。
真琴つばさの学歴を詳しく解説
実践女子学園での中高時代
真琴つばささんの学歴は、実践女子学園中学校・高等学校から始まります。
中高一貫のエスカレーター式の学校で、両親からは大学進学を勧められていました。
中学時代はバレーボール部に所属し、選手として活躍。
実は小学校時代にはバレーボールでオリンピック選手になるのが夢だったという真琴つばささん。
『アタックナンバーワン』の時代背景もあり、本格的にバレーボールに取り組んでいました。
高校時代になると演劇部に転向し、宝塚への夢に向けて活動を開始。
レッスン代を稼ぐために、コンビニ、ファーストフード(マクドナルドでは時給470円)、神社の巫女など、複数のアルバイトを掛け持ちしていました。
当時のマクドナルドの店長から「瞳はキレイだけど、笑顔が少ない」と言われたというエピソードも残っています。
実践女子大学を1日で中退
エスカレーター式で実践女子大学に内部進学した真琴つばささんですが、なんと大学を1日で中退するという驚きの選択をします。
入学式には出席したものの、翌日が宝塚音楽学校の合格発表だったため、合格を受けて即座に中退を決断したのです。
この決断には相当な覚悟が必要だったでしょうが、真琴つばささんの宝塚への強い思いがうかがえるエピソードです。
両親に宝塚挑戦を反対されていた中での決断だっただけに、その意志の強さには感服させられます。
宝塚音楽学校での2年間
1983年に宝塚音楽学校に第71期生として入学した真琴つばささん。
しかし、スタートは決して順調ではありませんでした。
寝坊して入学式に遅刻するという失態を犯し、その後も譜面が読めず、踊りも苦手で成績は悪く、体重も58kgと舞台人としては重い状態でした。
音楽学校時代は「顔が眠そう」と先輩によく怒られ、同期の愛華みれさんと共に劣等生として過ごしていました。
それでも諦めることなく努力を続け、1985年に宝塚歌劇団に入団を果たします。
真琴つばさは何期生?71期生の輝かしい実績
伝説の「華の71期生」
真琴つばささんは宝塚歌劇団71期生です。
この71期生は「華の71期」と呼ばれ、宝塚歌劇史上に燦然と輝く伝説的な期として語り継がれています。
何期生として特筆すべきは、同期生から4名ものトップスターを輩出したことです:
- 愛華みれさん(花組トップスター)
- 真琴つばささん(月組トップスター)
- 轟悠さん(雪組トップスター)
- 稔幸さん(星組トップスター)
さらに、鮎ゆうきさんがトップ娘役を務めるなど、5名ものトップクラスの人材を輩出。
これは宝塚歌劇史上初めての快挙で、1997年から1999年にかけては、5組中4組のトップスターが71期生という異例の状況が生まれました。
入団時の成績と努力の軌跡
興味深いことに、真琴つばささんの音楽学校卒業時の成績は46人中36番と、決して優秀ではありませんでした。
同期の轟悠さんが13番だったことを考えると、真琴つばささんがいかに努力を重ねてトップスターの座を掴んだかがわかります。
音楽学校時代は「金なし、コネなし、愛想なし」と言われた真琴つばささん。
それでも持ち前の負けず嫌いな性格と努力で、徐々に頭角を現していきました。
元々高かった声を10年かけて低くしたり、カナヅチを克服するために自宅でシャワーを浴びながら息継ぎの練習をして肺活量を1500ccから3300ccに増やしたりと、人知れぬ努力を重ねていたのです。
宝塚時代から現在まで
花組から月組へ、そしてトップスターへ
1985年、花組『愛あれば命は永遠に』で初舞台を踏んだ真琴つばささん。
当時の花組には同期の愛華みれさんをはじめ、1期下の香寿たつきさんや紫吹淳さん、2期下の姿月あさとさんなど有力なスター候補がひしめいており、真琴つばささん自身が「暗黒時代だった」と振り返るほど厳しい競争の中にいました。
転機となったのは1993年の月組への組替えです。
『ル・グラン・モーヌ』でバウホール公演初主演を果たし、男役スターとしての地位を確立。
1997年には『EL DORADO』で月組トップスターに就任しました。
他組出身者のトップスター就任は24年ぶりという快挙でした。
現在は猫のアビィと二人暮らし
2001年の『愛のソナタ/ESP!
』で宝塚を退団後、真琴つばささんは女優・歌手として活動を続けています。
現在はアビシニアンの「アビィ」(オス、約10歳)と暮らしており、「70歳までに結婚したい」という願望を持ちながらも、猫がいるため長期の外出が難しく、独身生活を続けています。
アビィは食べることに貪欲で、おやつをもらうために様々な芸を覚える賢い猫。
真琴つばささんにとって大切な家族であり、生きていく張り合いになっているそうです。
まとめ
真琴つばささんの年齢は現在60歳、本名は保川真名美さん、出身は東京都品川区です。
宝塚歌劇団71期生として、決して優秀とは言えない成績からスタートしながらも、たゆまぬ努力でトップスターの座を掴んだ努力の人でもあります。
実践女子学園での中高時代から実践女子大学を1日で中退して宝塚音楽学校に入学するという学歴も、真琴つばささんの宝塚への強い思いを物語っています。
血液型A型らしい真面目さと、射手座らしい向上心を併せ持つ真琴つばささんは、71期生という伝説の期の一員として宝塚歌劇史にその名を刻みました。
現在も精力的に活動を続ける真琴つばささん。
愛猫アビィとの生活を楽しみながら、今後も私たちに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることでしょう。
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