真琴つばさは宝塚でなぜ人気?娘役との関係や退団公演まで総まとめ

宝塚

元宝塚歌劇団月組トップスターの真琴つばささんは、現在60歳を迎えてもなお歌手・女優として精力的に活動を続けている宝塚界のレジェンドです。

2025年には芸能活動40周年を迎え、その変わらぬ美しさと実力で多くのファンを魅了し続けています。

真琴つばささんが宝塚で築いた輝かしい実績は、単なる人気スターの枠を超えて宝塚史に深く刻まれています。

本記事では、真琴つばささんが何期生として入団したのか、なぜあれほどまでに人気を集めたのか、そして伝説的な退団公演や相手役の娘役との関係について詳しくご紹介します。

真琴つばさは宝塚何期生?「華の71期」の伝説

真琴つばささんは宝塚歌劇団71期生として、1983年に宝塚音楽学校に入学し、1985年に花組『愛あれば命は永遠に』で初舞台を踏みました。

この71期生は宝塚史上「華の71期」と呼ばれ、宝塚ファンなら誰もが知る伝説的な期として語り継がれています。

その理由は、宝塚史上初となる同時期に4組でトップスターを務めたという前代未聞の記録にあります。

真琴つばささんの同期には、花組トップスターの愛華みれさん、雪組トップスターの轟悠さん、星組トップスターの稔幸さんがおり、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、5組中4組のトップが71期生という異例の時代を築きました。

真琴つばささんは入学時、実践女子大学に内部進学して入学式にまで出席していましたが、翌日が宝塚合格発表だったため、なんと大学を1日で中退して宝塚音楽学校に入学したというエピソードも有名です。

小学校の卒業文集には既に宝塚音楽学校で歌い踊る自分の姿を描いており、幼い頃からの強い意志と夢への情熱がうかがえます。

現在でも71期生の絆は深く、定期的に同期会を開催したり、コンサートで共演したりと、入団から40年を経ても変わらぬ友情を育んでいます。

2021年に轟悠さんが退団するまで、この「華の71期」は長きにわたって宝塚歌劇団を支え続けた黄金世代なのです。

宝塚での人気の秘密|暗黒時代から伝説のトップスターへ

真琴つばささんの宝塚での人気は、決して最初から約束されたものではありませんでした。

むしろ、本人が「暗黒時代」と語るほどの苦難の時期を乗り越えて掴んだ栄光だったのです。

花組時代の真琴つばささんは、同期の愛華みれさんをはじめ、1期下の香寿たつきさん・紫吹淳さん、2期下の匠ひびきさん・姿月あさとさんなど、有力なスター候補がひしめく激戦環境にいました。

当時の競争は熾烈で、なかなか主要な役に抜擢されない日々が続いていたといいます。

さらに、真琴つばささんが宝塚を目指すことに対し、家族は「うちに芸人の血筋はない」と強く反対していました。

それでも「学生ローンでお金を借りてでも行く」と両親を説得し、レッスン代を稼ぐために時給470円でマクドナルドのアルバイトをするなど、並々ならぬ努力を重ねていました。

転機となったのは1991年の『ヴェネチアの紋章』新人公演で、退団する大浦みずきさんの口添えにより初めて主役に抜擢されたことでした。

その後、1993年に月組に組替えとなり、男役スターとしての地位を確立していきます。

1997年、前任者・久世星佳さんの退団に伴い『EL DORADO』で月組トップスターに就任しました。

他組出身者のトップスター就任は24年ぶりという異例の抜擢でした。

真琴つばささんはトップスター時代、宝塚随一のエンターテイナーとして知られ、サービス精神にあふれた舞台で観客を魅了しました。

特に『黒い瞳』でのニコライ少尉役は伝説的な名演として語り継がれており、「馬車のシーンはファンの間では伝説級の名シーン」と評されています。

紫吹淳さんとの男の友情を描いたこの作品は、まさに当て書きと思えるほど完璧なコンビネーションを見せ、宝塚ファンの心に深く刻まれています。

また、『THE 夜もヒッパレ』などのテレビ番組への出演や中国公演での活躍など、宝塚の枠を超えた幅広い活動も人気を支える要因となりました。

アドリブを得意とし、観客との距離感を大切にする姿勢は、まさにエンターテイナーの鑑といえるでしょう。

真琴つばさの娘役|2人の相手役との絆

真琴つばささんのトップスター時代は、2人の素晴らしい娘役との深い絆によって彩られました。

それぞれ異なる魅力を持つ相手役との関係は、宝塚ファンにとって忘れられない思い出となっています。

初代相手役:風花舞さん(1997-1999年)

トップスター就任時の相手役は、76期生の風花舞さんでした。

風花さんは卓越したダンステクニックと愛らしい容姿・スタイルの良さで知られ、前任の久世星佳さんの相手役から引き続き真琴つばささんとコンビを組みました。

『EL DORADO』でのお披露目公演をはじめ、踊れる風花さんにピッタリの『CanCan』、そして1998年のTAKARAZUKA1000days劇場こけら落とし公演『WEST SIDE STORY』での共演は多くのファンの心に残っています。

特に『黒い瞳』では、ロシア貴族の恋を美しく演じ、真琴つばささんとの息の合った演技を披露しました。

2代目相手役:檀れいさん(1999-2001年)

1999年、風花舞さんの退団により新たな相手役として迎えられたのが檀れいさんでした。

入団8年目でのトップ娘役抜擢は「シンデレラガール」として大きな話題となりました。

当初は他にトップ娘役候補がいたものの、真琴つばささんが檀れいさんを相手役として受け入れたという説もあり、その懐の深さがうかがえます。

真琴つばささんと檀れいさんのコンビは、約2年半という短い期間ながら、非常に印象深い舞台を数多く残しました。

2度の中国公演では国際的な舞台で大きな成功を収め、宝塚の海外展開に貢献しました。

また、『LUNA-月の伝言-』でのアドリブなども話題となり、真琴つばささんのエンターテイナー精神を支える重要なパートナーでした。

真琴つばささんは檀れいさんとの関係について、「不器用すぎる私に健気に必死についてきてくれただんちゃん」と振り返り、檀れいさんが「まみさん、早く寝てくださいね」と気遣ってくれた温かい言葉に「何度も救われてきました」と感謝を表しています。

鬘作りの美容室を紹介するなど、細かい部分まで気にかける姿勢からも、深い信頼関係がうかがえます。

この絆は現在も続いており、2025年6月の真琴つばささんの40周年コンサートには檀れいさんがゲスト出演し、「宝塚時代にコンビを組んでいたことを振り返り、体が覚えている」と当時の思い出を語りました。

退団公演『愛のソナタ/ESP!!』|2つの劇場のこけら落としを務めた記録

真琴つばささんの退団公演『愛のソナタ/ESP!

』は、2001年に東京宝塚劇場と宝塚大劇場で上演されました。

この公演は単なる退団公演を超えて、宝塚史に残る特別な意味を持つ舞台となりました。

まず注目すべきは、この公演が新東京宝塚劇場のこけら落とし公演だったことです。

東京公演が2001年1月に先行して行われ、宝塚大劇場での上演は5月18日から7月2日まで実施されました。

通常とは逆の順序での公演という珍しいスケジュールでしたが、これは新劇場のオープニングという特別な事情によるものでした。

真琴つばささんは宝塚史上稀有な記録として、2つの劇場のこけら落とし公演を務めています。

1998年のTAKARAZUKA1000days劇場こけら落とし公演『WEST SIDE STORY』に続き、新東京宝塚劇場でも歴史的な初日の幕を開けたのです。

この記録は他のトップスターにはない、真琴つばささん特有の功績として語り継がれています。

退団公演では、相手役の檀れいさんもこの舞台を最後に月組トップ娘役を退任し専科に異動となり、美しいトップコンビの最後を飾りました。

サヨナラショーでは、お披露目作品『EL DORADO』の「失われた世界」が披露され、トップスター時代の始まりと終わりを象徴する演出となりました。

真琴つばささんは退団への想いを「昨年8月に退団を発表して以来、気持ちが切れるのを防ぐため、最後の舞台まで『さよなら』という言葉を言わないようにしてきた」と語り、「男役らしく終えたいので、最後は格好よく、美しくしたいと思いまして黒燕尾にしました」と、最後まで男役としての美学を貫く姿勢を見せました。

2001年7月2日の宝塚大劇場千秋楽では、16年間の宝塚生活に幕を閉じ、数多くのファンに愛され続けた伝説のトップスターとしての最後を飾りました。

まとめ

真琴つばささんの宝塚時代は、71期生という黄金世代の一員として始まり、「暗黒時代」と呼ぶほどの苦難を乗り越えて掴んだ栄光の物語でした。

2人の素晴らしい娘役との絆、2つの劇場のこけら落としという歴史的な舞台、そして『愛のソナタ/ESP!

』での美しい退団公演まで、すべてが宝塚史に深く刻まれる輝かしい足跡となっています。

現在も歌手・女優として活動を続ける真琴つばささんの人気の根源は、決して恵まれた環境から生まれたものではなく、不屈の努力と強い意志、そして観客への深い愛情から築かれたものです。

71期生の絆も40年を経た今なお続いており、真琴つばささんの人間的な魅力の表れといえるでしょう。

宝塚随一のエンターテイナーとして多くの伝説を残した真琴つばささんの物語は、これからも多くの人々に愛され、語り継がれていくことでしょう。

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