元宝塚歌劇団星組・宙組の男役スターとして活躍し、現在は俳優・声優・アーティストとして多方面で活動する七海ひろきさん。
退団後も男役としてのスタイルを貫き、新たな分野で注目を集める七海さんですが、彼女を支えてきた家族についてはどのような情報が公表されているのでしょうか。
宝塚という特殊な世界で16年間活躍し、現在も第一線で活動を続ける七海さんの原点には、家族の温かいサポートがありました。
特に父親の存在は、七海さんが宝塚の道を歩むうえで重要な役割を果たしたことが、これまでのインタビューや公式発言から明らかになっています。
今回は、七海ひろきさんの家族構成や父親に関する情報、実家の所在地について、公式に発表されている情報のみをもとに詳しくご紹介します。
プライベートな部分も含まれますが、七海さん自身が公の場で語られたエピソードを中心にお伝えしていきます。
家族構成は公表されている?
七海ひろきさんの家族構成については、これまでの公式インタビューや記事を通じて一部が明らかになっています。
七海さんの実家は、父親・母親・2歳年上の兄・七海さん本人の4人家族です。
七海さんの本名は海津久美子(かいづくみこ)さんといい、芸名の「七海ひろき」は、本名にある「海」の字を使い、当時好きだったテレビアニメ『七つの海のティコ』からヒントを得て、ご自身で考案されたものです。
「ひろき」という名前も「七つの海=広い」というイメージから来ているそうです。
家族の詳しいプロフィールについては、一般の方ということもあり、名前や顔写真などは公開されていません。
しかし、七海さんがこれまでのインタビューで語られた内容から、家族がいかに協力的で温かい環境を提供してくれていたかが伺えます。
特に印象的なのは、七海さんが宝塚を目指すようになってから、家族全員がその夢を応援し、様々な形でサポートしてくれたということです。
宝塚音楽学校への受験は非常に困難で費用もかかる道のりですが、家族の理解と協力があったからこそ実現できたのです。
父親に関する情報
七海ひろきさんの父親については、一般の方のため詳しいプロフィールは公開されていませんが、七海さんの宝塚への道のりにおいて重要な役割を果たしたことが分かっています。
職業については公式には発表されていませんが、ネット上では「ゴルフ場などの設計の仕事をしている」という情報があります。
宝塚受験には相当な費用がかかることから、ある程度高収入のお仕事をされている可能性が高いと推測されます。
最も注目すべきは、七海さんの宝塚受験に対する父親のサポートです。
七海さんが中学時代に宝塚音楽学校受験のために通ったバレエ教室は、父親が探してきてくれたものでした。
このバレエ教室は東京にあり、茨城の実家からは往復5時間もかかる距離でしたが、毎週通わせてくれたのです。
また、七海さんは過去のラジオ番組で、学生時代の勉強方法についてアドバイスする際に、「一人で勉強すると誘惑に負けてしまいがちなので、友達や両親に問題を出してもらうなど協力してもらうといい」と語っています。
これは七海さん自身の体験談であり、父親も勉強に協力してくれていたことが伺えますね。
興味深いエピソードとして、父親は知人に自身のことを「ケビン」と呼ばせているという情報もありますが、これについては真偽のほどは定かではありません。
しかし、このようなユニークな一面があるとすれば、親子関係が良好で、家庭内の雰囲気も和やかなものだったことが想像できますね。
教育方針についても、七海さんが通っていた水戸第二高等学校は偏差値の高い進学校でしたが、両親からは「成績が落ちたら音楽学校の受験はさせない」という条件を出されていました。
これは、宝塚受験と学業の両立を求める厳しくも愛情深い方針だったと言えるでしょう。
実家の所在地・出身地に関する記載
七海ひろきさんの出身地については、公式に茨城県水戸市であることが明かされています。
さらに詳しくは、水戸市内原町出身であることを七海さん自身が公表しています。
2019年11月8日に「いばらき大使」に就任した際の七海さんのコメントでは、
「茨城県水戸市内原町出身の七海ひろきです。いばらき大使に就任させて頂き大変光栄です。大好きな茨城の魅力を広めていきたいと思います」
と自らの出身地を明かしています。
また、同時期のオリコンニュースのインタビューでは、「私は、茨城県水戸市内原町で育ち、水戸第二高等学校に通っていました。
幼いころから、茨城の自然に囲まれて学び、茨城の美味しい農産物、水産物を食べて育ちました。私を育ててくれたこの温かい故郷が大好きです」と故郷への深い愛情を語っています。
七海さんの地元愛は現在も続いており、関西在住時代も「おいしい納豆を探す」ほどの納豆好きで、公演期間中は毎日納豆を食べていたというエピソードもあります。
水戸といえば納豆で有名ですから、故郷の味への愛着が感じられますよね。
現在も実家との関係は良好で、2025年の正月も実家で過ごしたことが報告されています。
その際には「常にカッコいい元宝塚の七海ひろきさんだけど、正月を水戸の実家で過ごした後は『ちょっとスイッチ入れなきゃ』となる」という微笑ましいエピソードも紹介されており、実家がリラックスできる場所であることが伺えます。
高校時代のエピソードとしては、水戸二高在学中に千波湖で友達と散歩やランニングをしたり、地元の花火大会を楽しんだりした思い出を語っており、地元での青春時代を大切にしていることが分かります。
メディア・インタビューで語られた家族エピソード(出典付き)
七海ひろきさんがこれまでのメディア出演やインタビューで語られた家族エピソードは、温かい家庭環境と家族の深い愛情を物語るものばかりです。
兄との関係について
七海さんには2歳年上の兄がいることがWikipediaなどで公表されています。
幼少期のエピソードとして、「2歳上の兄がおり、幼少期はヒーローごっこなど男の子の遊びばかりをしていた」と記載されており、活発な子供時代を過ごしていたことが分かります。
より詳しいエピソードとしては、朝日新聞のインタビューで「兄がいるんですけど、ちっちゃいときはマネをしたくなって『お兄ちゃんが野球をやるなら、私もやる!』と野球をやったり、サッカーをやったりしていました。結構、アウトドアでしたね」と語っています。
また、自転車に関するエピソードでは、「自転車に乗り始めたころには2人で競争、坂道を全力で下っていたら吹っ飛んで足を怪我したこともあった」という、やんちゃで仲の良い兄妹関係が伺えるエピソードも紹介されています。
宝塚受験での家族のサポート
七海さんが宝塚を目指すきっかけとなったのは、小学6年生の時にテレビで見た天海祐希さん主演の『風と共に去りぬ』でした。
その後、『ME AND MY GIRL』を生で観劇し、自らも宝塚の舞台に立ちたいと思うようになったそうです。
この夢を実現するために、家族は全面的にサポートしました。中学時代から東京のバレエ教室の宝塚音楽学校受験対策クラスに通うことになりましたが、茨城からは往復5時間という長距離でした。
それでも家族は七海さんの夢を応援し、毎週通わせてくれたのです。
七海さんは宝塚音楽学校を2度受験し、2度目で合格を果たしました。i-voceのインタビューでは、「私は2回目の受験で合格したのですが……。
『これが最後』と決めていたので人生を賭けて挑んだという気合いは絶対にあったと思います」と当時の心境を語っています。
ちゃおプラスの記事では、「宝塚を好きになったことからはじまった七海さんの宝塚音楽学校受験。
ラストチャンスにかけた2度目の合格発表を見に行く直前、家族とこんな話をしたそう」と、家族が最後まで七海さんを支えていたことが紹介されています。
合格後のエピソード
合格発表後のエピソードとして、七海さんは「受験中は食事などに気を遣っていたけれど、合格発表後には店に入って食事をした。その時食べたパスタがとても美味しかった」と振り返っています。
厳しかった受験期間を乗り越え、家族とともに喜びを分かち合った瞬間だったのでしょう。
現在の家族との関係
現在も七海さんと家族の関係は良好で、特に母親については度々SNSで母の日のお祝いをしていることが報告されています。
これは七海さんが家族を大切にしている証拠でもあります。
また、2023年10月17日の文化放送「斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!」での放送後記では、「七海さんはあまり芸事を長く習っていたわけではなく、ご両親も『受からないだろう』と思っていたそうです。
七海さんは今でも『受かったことは奇跡だと思っている』と語っていました」というエピソードが紹介されており、家族も七海さんの合格を驚きとともに喜んでいたことが分かります。
まとめ
七海ひろきさんの家族についての公式情報を整理すると、茨城県水戸市内原町出身の4人家族で育ち、特に父親が宝塚受験において重要な役割を果たしたことが明らかになっています。
父親は七海さんが中学時代から宝塚音楽学校受験のためのバレエ教室を探してくれ、往復5時間かかる東京まで毎週通わせてくれました。
また、学業との両立も重視し、「成績が落ちたら受験はさせない」という厳しくも愛情深い条件を設けていました。
このような家族のサポートがあったからこそ、七海さんは2度目の挑戦で宝塚音楽学校に合格することができたのです。
2歳年上の兄とは幼少期から仲が良く、一緒にヒーローごっこをしたり、兄の真似をして様々なスポーツに挑戦したりと、活発で温かい兄妹関係を築いていました。
母親についても、勉強に協力してくれたり、現在も母の日には感謝の気持ちを表すなど、深い愛情で結ばれた関係が続いています。
現在も故郷への愛情は深く、2019年には「いばらき大使」に就任し、積極的に茨城県の魅力をPRしています。
実家は今でも七海さんにとってリラックスできる大切な場所であり、家族との絆の深さを物語っています。
七海ひろきさんの現在の活躍の原点には、家族の温かいサポートと深い愛情があることが、これらの公式情報からよく分かります。
宝塚という厳しい世界で16年間活躍し、退団後も新たな分野で挑戦を続ける七海さんの強さの源泉は、間違いなくこの素晴らしい家族の存在にあると言えるでしょう。


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