宝塚歌劇団で独特な輝きを放ち、退団後も俳優・声優・アーティストとして多方面で活躍する七海ひろきさん。2019年の退団時に話題となった白タキシード姿や、2025年に声優アワード新人賞を受賞したニュースで、改めて注目を集めています。
しかし、七海ひろきさんの宝塚時代について「何番手だったの?」「トップスターになったの?」といった疑問を持つ方も多いようです。実際、七海さんの宝塚でのポジションは非常にユニークで、従来の「路線スター」「別格スター」という枠組みにあてはまらない独自の立ち位置を築いていました。
本記事では、七海ひろきさんの宝塚時代を詳細に振り返り、その「番手」や「路線」での歩み、そして退団までの活動をまとめてご紹介します。
年表:期別・配属・主な役どころ
2003年(89期生として入団)
- 入団時成績:39番
- 初舞台:月組『花の宝塚風土記』『シニョール ドン・ファン』
- その後宙組に配属
宙組時代(2003年〜2015年)
- 2013年:『the WILD Meets the WILD』バウホール公演でW主演(蓮水ゆうやさんとの共演)
- 2014年:『風と共に去りぜ』でスカーレット・オハラ役を役替わりで演じる(重要な転換点)
- 宙組での研歴を重ね、別格スター的ポジションに
2015年4月21日:星組へ組替え
- 当時研13の学年
- 真風涼帆さんとの入れ替わり的な組替え
- 星組では段階的に序列を上げていく
星組時代(2015年〜2019年)
- 2017年:『燃ゆる風 -軍師・竹中半兵衛-』バウホール単独初主演
- 徐々に3番手格のポジションへ
- 2018年11月:退団発表
- 2019年3月24日:『霧深きエルベのほとり』『ESTRELLAS〜星たち〜』東京公演千秋楽で退団
「番手」の考え方と該当時期の立ち位置
七海ひろきさんの宝塚での最終的な番手は星組3番手でした。しかし、この「3番手」という位置づけには特殊な背景があります。
宝塚歌劇団では、トップスター、2番手、3番手という明確な序列があり、通常は公演プログラムや退団時の羽根の大きさでそれが表現されます。
七海さんの場合、退団公演で正式に3番手の羽根を背負ったことで、名実ともに3番手スターとして宝塚を卒業したことになります。
ただし、この3番手昇格については「ねぎらい人事」との見方もありました。
宝塚ファンのブログでは「彼女の三番手羽根は、どう見ても功労者に対する『ねぎらい人事』でしかありませんけど、それにしても劇団も粋なことをします」と分析されています。
実際、七海さんのポジションは従来の枠組みでは説明しきれない独特なものでした。
同ブログでは「別格スターでも路線スターでもない七海ひろきという独特のポジションを作った」と評価しており、これまでにない新しいスター像を確立したとされています。
“路線”という言葉の整理(トップ/二番手との関係)
宝塚において「路線」とは、将来的にトップスターになる可能性のある男役のキャリアパスを指します。
一方「別格」は、路線から外れているものの人気や実力のある男役を指すのが一般的です。
七海ひろきさんの場合、この分類が非常に曖昧でした。
2015年の宙組から星組への組替えについて、当時は「路線スターとして番手を上げる意図があっての組替えなのか、そうじゃないかが全く読めない」状況でした。
組替えの背景には複数の要因がありました:
- 礼真琴さん(現星組トップスター)を3番手にする組織的な意図
- 「礼を3番手にするけど、七海も男役スターとして活躍してね」という劇団の方針
- 真風涼帆さんとの入れ替わり的な側面
結果的に、七海さんは星組で「路線的別格系」とも呼べる独自のポジションを築きました。
トップスターへの明確な道筋があったわけではありませんが、確実にスターとしての地位を固め、最終的には「人気ベスト10ジェンヌに入るんじゃなかろうかという程のファン数を持つスター」と言われるまでに成長しました。
退団までの流れと公式コメントの範囲
七海ひろきさんの退団決断は、人気絶頂期での電撃的な発表でした。
2018年11月に退団が発表されると、ファンからは驚きと惜しむ声が相次ぎました。
退団理由について、七海さん本人の言葉:
「今、すごく充実していて、ファンの方々もお客様もすごく楽しんで下さっていて。いつかは辞めなくてはならないと考えた時に、ファンの方たちに見せたい男役の姿の時に、終わりたいなと思った」
「最後にどういう風に七海ひろきの背中を見せたいかを考えた時に、今だなと決断した」
この決断の背景には、約1年前から退団を検討していたという事実があります。七海さんにとって、これは衝動的な決断ではなく、熟慮の末の選択だったのです。
退団公演千秋楽での挨拶では、特に印象的な言葉が残されています:
「変わらないために、変わり続けていきたいと思います」
この言葉は、七海さんの退団後の活動方針を予告するものでもありました。
実際、退団後も「男役の延長」として俳優活動を続け、ファンが愛した「七海ひろき」という存在を保ち続けています。
そして退団当日の白タキシード姿は宝塚史に残る伝説となりました。
これは「退団=ファンとの結婚式」というコンセプトで、七海さん自身のプロデュースによるものでした。
SNSでは「ファンを全員花嫁にして去っていった」と話題になり、七海さんの高いセルフプロデュース力を象徴する出来事となりました。
バウ主演・注目公演の振り返り
七海ひろきさんのキャリアを語る上で欠かせないのが、バウホールでの主演経験です。
2013年『the WILD Meets the WILD』(宙組・W主演)
蓮水ゆうやさんとのダブル主演で、ベンジャミン・ノースブルック役を演じました。
これが七海さんにとって初のバウホール主演となり、スターとしての地位確立の重要なステップでした。
2017年『燃ゆる風 -軍師・竹中半兵衛-』(星組・単独主演)
七海さんにとってバウホール単独初主演となった記念すべき作品です。
竹中半兵衛役を演じ、真彩希帆さんがいね役で共演しました。
七海さん自身が「大切で大事な作品」と語るこの公演は、星組での地位を決定づける重要な作品となりました。
『風と共に去りぬ』でのスカーレット・オハラ役
また、キャリアの転換点となったのが『風と共に去りぬ』でのスカーレット・オハラ役です。
宙組時代の2014年、伶美うららさんと役替わりでヒロインを演じたこの経験が、七海さんの表現者としての成長に大きな影響を与えました。
七海さん自身の言葉によれば:
「思い出深い公演はいろいろありますが、一番はやはりスカーレット・オハラを演じた『風と共に去りぬ』。この作品がなかったら、今の私は存在しないと思うので」
この作品を通じて、七海さんは「自分がどう楽しむか」から「どう楽しんでいただけるか」への意識転換を果たし、真のスターへと成長していったのです。
FAQ:「トップ?」など誤解されやすい検索語を是正
七海ひろきさんについて、よく誤解される点をまとめて整理します。
Q:七海ひろきさんはトップスターになったの?
A:いいえ、七海さんはトップスターにはなっていません。最終的な地位は星組3番手で、この立場で退団されました。
Q:なぜトップスターになれなかったの?
A:複数の要因が指摘されています。技術面では「歌」に課題があったとの評価があり、また七海さんがブレイクしたのは「舞台上ではなくスカイステージの中の七海ひろき」だったという分析もあります。ただし、七海さん自身は「今の姿で終わりたい」という明確な意思を持って退団を選択されました。
Q:現在も宝塚に在籍している?
A:いいえ、七海さんは2019年3月24日に退団済みです。現在は俳優・声優・アーティストとして活動されており、2025年には声優アワード新人賞を受賞されています。
Q:組替えの理由は何だったの?
A:2015年の宙組から星組への組替えについては、明確な理由は公表されていませんが、「消極的組替え」との見方が一般的です。星組の体制強化と、礼真琴さんを3番手にする組織的意図があったとされています。
Q:退団後も男役を続けている理由は?
A:七海さん自身は「私は”俳優”として、男役も女役も自分らしく演じている」と説明されています。宝塚での男役キャリアがあるため、「女役よりも自信を持って舞台に立つことができる」「のびのび演じられる」という理由から、男役を中心とした活動を続けられています。
まとめ
七海ひろきさんは、宝塚歌劇団において従来の枠組みを超えた独特のポジションを築いた稀有なスターでした。
89期生として入団し、宙組から星組への組替えを経て、最終的に星組3番手として美しく退団。
その歩みは決して平坦ではありませんでしたが、持ち前の人柄と努力で確固たる人気を獲得しました。
特筆すべきは、七海さんが「七海ひろき」という新しいジャンルそのものを確立したことです。
路線スターでも別格スターでもない、まったく新しいスター像を作り上げ、退団後もそのスタイルを貫いています。
2019年3月24日の退団公演での白タキシード姿に象徴されるように、七海さんのセルフプロデュース力とファンへの愛情は、宝塚史に残る美しいエピソードとなりました。
そして現在も俳優・声優として新たな挑戦を続け、2025年の声優アワード受賞という快挙を成し遂げています。
七海ひろきさんの軌跡は、宝塚の伝統的な「路線」という概念を超えて、自分らしさを貫くことの大切さを教えてくれる、まさに現代的なスターの在り方と言えるでしょう。
コメント