遼河はるひの学歴は?小学校・高校・大学の出身校まとめ【椙山女学園出身】

宝塚

女優・タレントとして活躍する遼河はるひさん。

元宝塚歌劇団の月組男役スターとして長年ファンを魅了し、退団後もドラマやバラエティ番組で幅広く活動しています。

そんな遼河はるひさんは愛知県名古屋市出身。

名古屋といえば独自の文化や高いプライドで知られる街ですが、遼河さんの生い立ちを調べていくと、「名古屋のお嬢様」と呼ばれるにふさわしい学歴と環境が見えてきます。

この記事では、遼河はるひさんの小学校・中学校・高校・大学(進学の有無)・そして宝塚音楽学校に至るまでの出身校を時系列で詳しく解説します。

椙山女学園との深い関わりや、宝塚を目指すきっかけになったエピソードも紹介しますので、ぜひ最後までお読みください。


遼河はるひの学歴一覧|出身校を時系列で整理

まずは遼河はるひさんの学歴を一覧で確認しておきましょう。

学校名種別所在地
名古屋市立吹上小学校公立・共学愛知県名古屋市昭和区
椙山女学園中学校私立・女子校愛知県名古屋市千種区
椙山女学園高等学校私立・女子校愛知県名古屋市千種区
宝塚音楽学校(82期生)私立・専門兵庫県宝塚市

注目すべきは、高校卒業後に大学へは進学していないという点です。

多くの受験生が大学進学を選ぶ中、遼河はるひさんは宝塚音楽学校という独自の道を選びました。

その背景については後ほど詳しく触れます。


小学校は名古屋市立吹上小学校|実家は高級住宅地?

遼河はるひさんが最初に通った学校は、名古屋市立吹上小学校です。

愛知県名古屋市昭和区吹上1丁目に位置する公立の小学校で、1928年(昭和3年)8月5日に「吹上尋常小学校」として開校した歴史ある伝統校です。

地下鉄桜通線「吹上駅」から徒歩約8分の場所に位置し、吹上公園の南側という自然豊かな環境に恵まれています。

この吹上小学校がある昭和区・吹上エリアは、名古屋市の中でも有数の高級住宅地として知られており、プロ野球・中日ドラゴンズの選手が居を構えることでも有名なエリアです。

名古屋大学や名古屋工業大学、南山大学など多くの大学が近隣に立地する文教地区でもあり、教育環境が整った落ち着いた住宅地です。

遼河はるひさんの実家がこの吹上エリアにあると推測されることが、「実家は裕福なのでは?」と言われる背景のひとつとなっています。

また、幼少期からピアノ・日本舞踊・公文・水泳と多彩な習い事をしていたことも、裕福な家庭環境をうかがわせるエピソードです。

地元では著名な出身者として、現在も吹上小学校の名前とともに遼河はるひさんの名が挙げられています。


椙山女学園中学校・高校へ|名古屋が誇るお嬢様学校の実力

小学校卒業後、遼河はるひさんが進学したのは椙山女学園中学校、そしてそのまま内部進学で椙山女学園高等学校へと進んでいます。

中学・高校の6年間を椙山女学園で過ごしたことになります。

椙山女学園(すぎやまじょがくえん)は、

1905年に尾張藩士族の椙山正弌と妻・椙山今子が名古屋市富士塚町の旧武家屋敷に「名古屋裁縫女学校」を開いたことを起源とする、

100年以上の歴史を誇る由緒ある学校法人です。

中学・高等学校は愛知県名古屋市千種区山添町に位置し、中高一貫教育を提供する私立女子校です。

椙山女学園高等学校の現在の偏差値は61。

愛知淑徳学園や金城学院などと並んで、名古屋では古くから「お嬢様学校」の代名詞的存在として地元に根付いています。

資産家の子女が多く通う学校として知られており、遼河はるひさんが中学から椙山に通っていたという事実は、

ご実家が相当な経済的余裕を持つ家庭であったことを示すひとつの根拠とされています。

また椙山女学園には、毎朝8時30分に昭憲皇太后御歌『金剛石』を鐘の音で奏でるという独特の伝統があります。

創設者の椙山正弌がアメリカのスタンフォード大学を訪問した際に感銘を受けたことが起源で、学園の精神的な柱となっています。

さらに、ベルリンオリンピック金メダリストの水泳選手・前畑秀子さんを全面的にサポートした歴史でも有名で、校内には前畑さんと小島一枝さんの銅像が建てられています。

椙山女学園中学校・高等学校の卒業生には、遼河はるひさん以外にも、

女優の藤谷美紀さん、フィギュアスケート選手の中野友加里さん、歌手の鹿取洋子さんなど、各界で活躍する著名人が名を連ねています。

まさに名古屋を代表する女子校として、長年にわたり優秀な人材を輩出し続けています。


高校時代に宝塚と出会う|椙山から宝塚音楽学校へ

椙山女学園高等学校に通っていた高校2年生のとき、遼河はるひさんの人生を大きく変える出来事が起こります。

母親の友人に誘われる形で初めて観た宝塚歌劇団の舞台、『華麗なるギャツビー』に強く心を動かされたのです。

それまで宝塚に縁のなかった遼河はるひさんでしたが、舞台の華やかさとスターたちの輝きに一気に魅了され、「自分もあの舞台に立ちたい」という夢を抱くように。

宝塚受験を決意した遼河さんはすぐに行動へと移します。高校2年生のうちからバレエのレッスンを開始し、猛烈なスピードで技術を磨き始めました。

しかしその道のりは決して楽ではありませんでした。練習に打ち込むあまり疲労骨折を経験するほどの激しいトレーニングをこなしたといいます。

それでも諦めることなく稽古を続けた姿は、椙山女学園時代から培ってきた強い意志と努力家の気質を如実に表しています。

そして遼河はるひさんは大学進学という道を選ばず、高校卒業後に宝塚音楽学校の受験に専念するという大きな決断を下します。


大学には進学せず宝塚音楽学校へ|史上最高倍率48.25倍を突破

1994年、遼河はるひさんは宝塚音楽学校に見事合格し、82期生として入学を果たします。

大学へは進学しておらず、宝塚音楽学校が遼河さんにとっての高等教育機関となりました。

この年の入試は、宝塚音楽学校史上最高となる倍率48.25倍を記録した超難関の年でした。

全国から集まった才能あふれる受験生の中をくぐり抜けての合格は、遼河はるひさんの実力と努力が本物であったことを証明しています。

高校2年生からバレエを始めたという比較的遅いスタートで、これほどの難関を突破したのは驚異的と言えるでしょう。

82期生の同期には、その後宝塚を代表するスターとなる錚々たる顔ぶれが揃っていました。

壮一帆さん(元雪組トップスター)、蘭寿とむさん(元花組トップスター)、涼紫央さん(元星組スター)、紺野まひるさん(元雪組トップ娘役)など、

後に各組を牽引することになる逸材たちと同期であったことも、いかにこの年の82期生がレベルの高いものであったかを示しています。

1996年には宝塚歌劇団に入団(入団時成績11番)し、月組で初舞台を踏んだ遼河はるひさん。

その後は宙組への組替えを経て2009年の退団まで男役スターとして活躍し、退団後は女優・タレントとして現在も幅広いフィールドで活動を続けています。


まとめ

遼河はるひさんの学歴を改めて振り返ると、名古屋市昭和区の高級住宅地エリアにある名古屋市立吹上小学校を経て、

名古屋屈指のお嬢様校として知られる椙山女学園中学校・高等学校へと進んだ、非常に恵まれた環境の中で育ったことがわかります。

多くの同級生が大学進学を選ぶ中で、遼河はるひさんは大学へは進まず、宝塚という夢を追う道を選びました。

高校2年生からバレエを始め、疲労骨折しながらも練習に励み、史上最高の倍率48.25倍という狭き門を突破した姿は、

お嬢様育ちでありながら一切妥協しない、強さと情熱を持った人物像を浮かび上がらせます。

名古屋の上品な土壌で育ち、椙山女学園で磨かれた礼節と美意識。そして自らの意志で切り拓いた宝塚、そして女優への道。

遼河はるひさんの学歴は、今の活躍を支えるたしかな土台となっているのではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました