2024年10月、宝塚歌劇団雪組の新トップスターとして朝美絢さんが就任しました。
整った顔立ちと圧倒的な存在感で多くのファンを魅了する朝美絢さんですが、その原点には幼少期から続けてきたバレエがあります。
4歳から始めたバレエのレッスン、発表会で舞台袖から「笑って!」と声をかけられ続けた恥ずかしがり屋の少女時代。
そして、時間をかけて一歩一歩階段を上り、ついに宝塚のトップスターへと辿り着いた彼女の物語には、バレエから学んだ忍耐力と美しさが深く刻まれています。
朝美絢さんとバレエの関係を紐解きながら、彼女がどのようにしてトップスターへの道を歩んできたのかを見ていきましょう。
1. 朝美絢、4歳でバレエとの出会い
朝美絢さんとバレエの出会いは4歳の時でした。
親の勧めでクラシックバレエを始めた朝美絢さんですが、当時の彼女は「お稽古よりも外で遊んでいたくて…」という、ごく普通の子供らしい性格だったそうです。
興味深いのは、バレエの発表会が大好きだった一方で、いざ舞台に立つと恥ずかしさで固まってしまうというギャップでした。
発表会のたび、舞台袖にいる先生から「笑って!」「頑張って!」と声をかけられ続けていたという朝美絢さん。
華やかな舞台への憧れはあるものの、人前に出ると戸惑ってしまう繊細な少女だったのです。
神奈川県鎌倉市の海辺で育った朝美絢さんは、近所の水族館によく通っていました。
お姉さんとイルカが観客を楽しませるショーを見るのが大好きで、「私も大好きなイルカと一緒に踊りたい!」と夢見ていたそうです。
幼い頃から、華やかなステージへの憧れを心に抱いていた少女時代が窺えます。
母親からは「あなたは根がまじめだから時間がかかる。焦らずゆっくりやりなさい」とよく言われていたという朝美絢さん。
マイペースで、新しい環境になじむのも友達と仲良くなるのも時間がかかるタイプ。
このバレエを通じて培われた「時間をかけても着実に進む」という姿勢が、後の宝塚人生を支える大きな柱となっていきます。
2. 湘南バレエスタジオから宝塚への道
朝美絢さんがバレエの基礎を学んだのは、神奈川県藤沢市・鎌倉エリアにある湘南バレエスタジオでした。
このバレエスタジオは現在も「当バレエスタジオ出身の朝美絢さんが雪組のトップスターになりました!」と公式サイトで誇らしげに発表しており、地元の誇りとなっています。
朝美絢さんの人生を大きく変える出会いが訪れたのは小学生の時でした。
祖母と母が録画していた宝塚歌劇のテレビ番組を「たまたま」観たことが、すべての始まりでした。
初めて観た宝塚の舞台は、月組公演「螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ」。
スーツ姿の男役の格好良さに、子供ながらに深く感動したそうです。
「将来の自分の姿をいろいろ想像しても、宝塚の舞台に立つ自分しか浮かばない」「大学ではなく、宝塚の舞台に立つ自分が想像できた」と語る朝美絢さん。
この確信が、彼女を宝塚受験へと導きました。
バレエを続けていた朝美絢さんは、宝塚を目指すと決めてから、自分で調べて宝塚OGの方が運営するバレエ教室に移ります。
この行動力と決断力は、マイペースだった少女が確実に成長している証でした。
バレエの基礎があったからこそ、宝塚受験への準備もスムーズに進められたのです。
しかし、1回目の受験は一次試験で不合格。
「もしこれで受かったら原石だから、そのまま突き進めば良い。でも…」と現実を知った朝美絢さんは、「夢心地で受験していてはいけない」と気を引き締めます。
そして迎えた2回目の受験。
バレエの試験でたまたま前列センターになり、「きたーっ!」と手応えを感じた朝美絢さん。
見事合格を勝ち取り、しかも首席入学という快挙を成し遂げます。
合格発表で自分の番号を見つけた時、「人生でこんなに歓喜する瞬間があるのだと実感した」と語っています。
バレエで培った基礎が、宝塚音楽学校への扉を開いたのです。
3. 宝塚音楽学校時代:バレエの自信が打ち砕かれた日々
2007年、宝塚音楽学校に首席入学した朝美絢さん。
しかし、入学後に待っていたのは、想像を超える厳しい現実でした。
自信を持っていたダンスでさえ、「上には上がいる」ことを思い知らされます。
「自分のレベルでは全く追いつけない」「毎日の授業も、自分のレベルでは全く追いつけない」と、バレエで培ってきた自信が揺らぎます。
歌も、初めてのお芝居も、すべてが思うようにいかず、朝美絢さんは「打ちのめされて、一年間立ち直れなかった」と振り返ります。
それでも、予科生時代を乗り越えられたのは同期の存在でした。
「みんなで頑張ろうという一致団結したもの」があったからこそ、辛い時期を乗り越えることができたのです。
バレエを通じて培われた忍耐力が、ここでも発揮されました。
本科に進むと、朝美絢さんは気持ちを切り替えます。
「舞台に立てるためにはまだまだ足りないことだらけ」と自覚し、朝6時に起きて練習に打ち込む日々。
バレエで身につけた「コツコツと努力を積み重ねる」姿勢が、宝塚音楽学校での成長を支えました。
初舞台は2009年、宙組公演「薔薇に降る雨/Amour それは…」。
同期全員での最初で最後のロケット。
厳しいレッスンを経て、「2年間の同期との生活はこのためにあったんだと思える、まさに青春」と感じた朝美絢さん。
千秋楽の日には「やっとタカラジェンヌとしての一歩が踏み出せたんだなぁ」と実感したそうです。
バレエの基礎があっても、宝塚のレベルの高さに苦しんだこの時期の経験が、後の朝美絢さんの成長の土台となりました。
4. 月組時代:バレエの基礎が花開く
初舞台後、朝美絢さんは月組に配属されます。
月組は「芸事へのこだわり方が凄く、すぐにアドバイスをしてくれる」組。
「仕事として舞台を作り上げている」上級生たちの姿勢に、朝美絢さんは多くを学びました。
特に大きな影響を受けたのが、桐生園加さん、宇月颯さん、貴千碧さんといった名ダンサーたちでした。
「たくさん踊ることができた下級生時代の経験が今生きている」と語る朝美絢さん。
バレエで培った基礎の上に、宝塚独特のダンススタイルを積み重ねていきました。
新人公演では、珠城りょうさんの役を4回演じる機会に恵まれます。
「普段は優しいけれども、舞台では厳しい」珠城りょうさんから、衣装へのこだわりや役への向き合い方を学びました。
自分の大雑把さに気づき、「役や衣装にこだわりを持つこと」の大切さを実感したそうです。
中でも印象的だったのが、2012年「ロミオとジュリエット」新人公演でのマーキューシオ役。
この役は朝美絢さんが「ずっとやりたかった役」で、オーディションでは最下級生ゆえに最後の順番でした。
疲れた小池先生が譜面を閉じ始めるのを見て、「これでもか!」と歌いながら先生の顔を見てアピール。
見事役を獲得します。
「初めて自分の力で役をつかんだことが嬉しかった」と語る朝美絢さん。
バレエの基礎があったからこそ、複雑な振り付けにも対応でき、マーキューシオというダンスの見せ場が多い役を演じきることができたのです。
また、新人公演のショーで初めてセンターに立つ機会も得ます。
「真ん中で見る景色はすごく眩しくて、その眩しさをはね返すくらいのエネルギーがなければ真ん中には立てない」と実感した朝美絢さん。
バレエで培った体幹と表現力が、徐々に宝塚の舞台で花開いていきました。
5. 雪組での開花:バレエから学んだ忍耐力
2017年、朝美絢さんは雪組へ組替えとなります。
「また自分に挑戦させてくださるんだなと思って嬉しかった」と前向きに受け止めた朝美絢さん。
月組で学んだことが自信になっていました。
雪組での最初の主演作品は、2018年「義経妖狐夢幻桜」。
バウホール単独初主演となったこの作品で、朝美絢さんは「皆さんの義経像を壊すことなく、さらにかっこいい、宝塚版の義経像を打ち出したい」と意気込みます。
勇ましく、繊細に。
バレエで培った表現力を存分に発揮し、「やりきった感がありました」と満足のいく舞台を作り上げました。
興味深いのは、「NOBUNAGA」で初めて女役に挑戦した経験です。
「男役を7年やって来たからこそ出せる女役の色気と、慣れていない感じがあどけなさにでればいい」と考えた朝美絢さん。
バレエで培った美しい立ち姿や所作が、女役を演じる上でも活きました。
「女役を演って気づいたことがたくさん」あり、男役としての表現の幅も広がったそうです。
また、「グランドホテル」での役替わりに挑戦した際には、「あんなにお稽古場で泣いたのは初めて」というほど苦労しました。
しかし、公演が始まってから上級生に褒められ、「終わりたくないなというくらい大好きになれた」と語っています。
この経験も、バレエで学んだ「時間がかかってもやり遂げる」という忍耐力があったからこそ乗り越えられたのです。
「階段を上ったと思ったら落ち、新人公演で役がもらえても本公演で役がつかないもどかしさ、悔しさ」を常に抱えながらも、「もがき続けることは無駄ではない」と信じ続けた朝美絢さん。
「がむしゃらすぎて、子供っぽいと思われても、そのがむしゃらさが無くなったら自分ではなくなる」という強い信念を持ち続けました。
そして2024年10月14日、朝美絢さんは雪組トップスターに就任します。
入団から15年、バレエを始めてから数えれば30年以上。
時間をかけて一歩一歩階段を上り続けた朝美絢さんが、ついに宝塚のトップという頂点に立ったのです。
注目すべきは、朝美絢さんが所属する95期生です。
「花の95期生」「黄金期」と呼ばれるこの期からは、史上最多となる8名ものトップスターが誕生しています。
男役5名(柚香光さん、月城かなとさん、礼真琴さん、朝美絢さん、桜木みなとさん)、娘役3名(愛希れいかさん、妃海風さん、実咲凜音さん)。
その中でも、朝美絢さんは時間をかけて成長した、まさに「遅咲きの花」として注目されています。
6. 朝美絢のバレエが生み出す魅力
現在、雪組トップスターとして活躍する朝美絢さんの魅力の根底には、間違いなくバレエがあります。
バレエの基礎に裏打ちされた確かな体幹、手足の指先に至るまで洗練された動き。
舞台評では「西洋絵画の中にいるような」振る舞いと評されるほど、その所作は美しく磨かれています。
朝美絢さんは周囲から「ずっと稽古をしている人」と言われるほどの努力家としても知られています。
バレエで培った「コツコツと積み重ねる」姿勢は、宝塚に入団してからも変わることなく、日々の稽古に反映されています。
ダンスの評価については、「宝塚歌劇団員としては十分に踊れている」というレベルに達していますが、他のトップスターと比較すると「モッサリ感を感じる」という声があるのも事実です。
しかし、朝美絢さん自身が「成長し続けている」ことこそが重要です。
完璧ではないからこそ、常に向上心を持ち、稽古を重ね、バレエで培った基礎をさらに磨き続けているのです。
また、朝美絢さんの最大の魅力は、繊細かつ安定した演技力です。
歌・ダンス・演技と三拍子揃った男役ですが、特に「深みのあるお芝居」が高く評価されています。
バレエで学んだ身体表現が、セリフだけでなく、佇まいや表情だけで感情を伝える演技につながっているのです。
朝美絢さんが大切にしている言葉があります。
「成功の反対は失敗ではない。何も挑戦しないことだ」。
この言葉は、バレエの発表会で恥ずかしがり屋だった少女が、宝塚音楽学校で打ちのめされながらも諦めず、時間をかけてトップスターまで登り詰めた彼女の人生そのものを表しています。
まとめ
4歳から始めたバレエが、朝美絢さんのすべての原点でした。
発表会のたびに舞台袖から「笑って!」と声をかけられていた恥ずかしがり屋の少女が、バレエを通じて舞台への憧れを育み、宝塚という夢を見つけ、そして時間をかけて一歩一歩、確実に階段を上り続けてきました。
湘南バレエスタジオで培った基礎、宝塚OGのバレエ教室での受験準備、宝塚音楽学校での挫折と成長、月組での修行時代、そして雪組でのトップスター就任。
その道のりは決して平坦ではありませんでしたが、バレエから学んだ「時間がかかってもやり遂げる」という忍耐力が、朝美絢さんを支え続けました。
「成功の反対は失敗ではない。何も挑戦しないことだ」という信念のもと、挑戦し続けた朝美絢さん。
バレエで培った美しい所作、確かな体幹、そして何より「がむしゃらに」努力を続ける姿勢が、雪組トップスターという頂点への道を作りました。
神奈川県鎌倉市の湘南バレエスタジオも、「当バレエスタジオ出身の朝美絢さんが雪組のトップスターになりました!」と誇らしげに発表しています。
地元から世界へ。
バレエという普遍的な芸術が、一人の少女を宝塚のトップスターへと導いたのです。
これからも、バレエで培った基礎と美しさを武器に、朝美絢さんが雪組トップスターとしてどのような舞台を見せてくれるのか。
その成長と活躍に、大きな期待が寄せられています。


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