明日海りお、昔の若い頃が気になる!宝塚時代の貴重なエピソードを調査してみた

宝塚

現在は女優として活躍する明日海りおさん。

元宝塚歌劇団花組トップスターとして多くのファンを魅了した彼女の「昔」に注目が集まっています。

静岡の名門中学生がどのようにして宝塚のトップスターへと駆け上がったのか?

宝塚音楽学校時代の初々しい姿、下級生時代の貴重なエピソード、そして劇団史上初の「準トップスター」という異例のポジションまで、明日海りおさんの知られざる「昔」の物語を詳しく紐解いていきます。

1. 宝塚への扉を開いた運命の出会い

1-1. 静岡雙葉中学の秀才少女

1985年6月26日、静岡県静岡市で生まれた明日海りおさん(本名:海野紗由美)。

彼女が通っていた静岡雙葉中学校は、県下有数の進学校として知られています。

2018年度の実績を見ると、卒業生131名のうち国公立大学に26名、早稲田大学13名、慶應義塾大学8名、MARCH42名という素晴らしい進学実績を誇る名門校でした。

当時の明日海さんは、クラシックバレエを習う普通の中学生。

まさか自分が将来、宝塚歌劇団のトップスターになるなんて夢にも思っていなかったでしょう。

勉強に励み、バレエのレッスンに通う、ごく普通の女子中学生の日常を送っていたのです。

しかし、運命は突然やってきました。

それも、たった一本のビデオテープによって。

1-2. 人生を変えた一本のビデオ

2000年、中学3年生の夏のこと。

クラシックバレエ教室の友人から「これ、観てみて」と手渡されたのが、宝塚歌劇団月組の公演『LUNA』『BLUE・MOON・BLUE』のビデオでした。

当時トップスターだった真琴つばささんと檀れいさんのコンビが織りなす華やかな世界。

明日海さんは後にこう語っています。

「衝撃を受けました。華やかで、独特の世界観があって」

この『BLUE・MOON・BLUE』という作品は、砂漠をさすらう戦士が月明かりの赤い花に導かれて幻覚を見るという、アジアンでエスニック風の設定。

途中で4人娘のバニーちゃんが登場したり、アフロのディスコダンサーがフィーバーしたりと、まさにエンターテインメント満載の作品でした。

興味深いことに、同じ89期生の望海風斗さんも同じ作品に魅力を感じ、「宝塚音楽学校を受験する前、『どうしても合格したい!』と思わせてもらえたショー」と語っています。

一本のビデオが、後に宝塚を代表する二人のスターの人生を変えたのです。

1-3. 三日三晩泣き続けた宝塚受験への道

宝塚の魅力にすっかりはまった明日海さんは、他のビデオや月刊誌『歌劇』『宝塚GRAPH』も借りて、ますます宝塚の世界に引き込まれていきました。

そして、ついに両親に「宝塚音楽学校を受験させて」と懇願します。

しかし、母親の答えは冷たいものでした。

「何言ってるの。絶対ダメ!」

名門進学校に通う娘が、突然「宝塚に行きたい」と言い出したのですから、両親が驚くのも無理はありません。

でも、明日海さんの決意は固いものでした。

なんと、三日三晩、部屋にこもって泣きわめき、風邪まで引いてしまったのです。

この必死の訴えに、ついに母親も折れました。

「じゃぁ…、とりあえず受けたら」

こうして、明日海りおさんの宝塚への道が始まったのです。

受験倍率19.5倍という狭き門でしたが、彼女の熱意と才能は本物でした。

2. 宝塚音楽学校時代〜89期生の青春

2-1. 89期生として音楽学校入学

2001年4月、明日海さんは晴れて宝塚音楽学校に入学しました。

89期生として約50名の同期生と共に、2年間の厳しいレッスンが始まります。

2003年3月の卒業時には、入団時の成績が8番という優秀な成績を収めました。

89期生は後に「黄金世代」と呼ばれるほど優秀な生徒が揃っていました。

明日海りおさん(元花組トップスター)、望海風斗さん(元雪組トップスター)、夢咲ねねさん(元星組トップ娘役)と、なんと3名ものトップスターを輩出。

さらに凪七瑠海さんは首席卒業を果たすなど、本当に才能豊かな世代でした。

音楽学校での生活は想像以上に厳しいものでしたが、同期生たちは「全員で力を合わせることが大切」という意識を強く持っていました。

この結束の強さが、後の宝塚での活躍につながったのかもしれません。

2-2. 望海風斗との運命的な友情

89期生の中でも特に注目すべきは、明日海さんと望海風斗さんの友情です。

二人は宝塚音楽学校のすみれ寮で同室を経験し、深い絆を築きました。

明日海さんから見た望海さんの第一印象は「彫刻」だったそうです。

確かに、望海さんの端正な顔立ちを表現するのにぴったりの言葉ですね。

本科生時代には、演劇、バレエ、声楽、三味線のクラスが一緒で、本名での出席番号も近かったため、常に並んで授業を受けていました。

この友情は現在まで続いており、明日海さんは「生まれ変わっても友達」と語るほど。

退団後も交流が続き、お互いの舞台を観に行ったり、ラジオ番組でゲスト出演したりと、宝塚ファンにとって微笑ましいエピソードを提供してくれています。

2-3. 初舞台への道のり

2003年3月に音楽学校を卒業した明日海さんは、89期生として宝塚歌劇団に入団。

最初の配属は月組でした。

そして4月、ついに初舞台を踏むことになります。

作品は月組『花の宝塚風土記』『シニョール・ドンファン』。

当時のトップスターは紫吹淳さんでした。

しかし、明日海さんは後にこう振り返っています。

「初舞台は毎日、必死過ぎて、あまり記憶が鮮明ではないんです。初めてのプロの舞台、宝塚音楽学校の同期(89期)約50人が、初めて衣装を着てギュッと固まって…」

緊張と興奮の中で迎えた初舞台。

当時の映像を見ると、レオタード姿の明日海さんはまだあどけなさが残る美少女で、現在のシャープで洗練された美しさとは違った魅力がありました。

華奢で適度に丸みのある体型は、まさに「女の子として理想的なプロポーション」そのものでした。

3. 下級生時代の異例の抜擢と成長

3-1. 新人公演4作連続主演の快挙

初舞台を無事に終えた明日海さんでしたが、ここからが本当のスタートでした。

下級生時代から、その才能は多くの人の目に留まることになります。

なんと、新人公演で4作連続主演という異例の抜擢を受けたのです。

これは通常では考えられないほどの待遇で、劇団側がいかに明日海さんに期待していたかがわかります。

当時の明日海さんは「貴公子のようなさわやかな舞台姿」と評され、可憐な容姿と高い技術力で観客の心を掴みました。

男役に憧れて宝塚に入ったものの、下級生時代には娘役を任されることもありましたが、それも含めて多彩な魅力を発揮していたのです。

舞台での明日海さんの特徴は、「基本に忠実で、正確なリズムを刻む」こと。

音に対して非常に敏感で、変拍子でも一生懸命についていこうとする姿勢が印象的でした。

また、「クセがない」ことも大きな特徴で、どんな役でもしっかりと消化できる器用さを持っていました。

3-2. 劇団史上初「準トップスター」への道

明日海さんのキャリアで最も印象的な出来事の一つが、2012年2月14日に発表された「月組準トップスター」への就任です。

これは宝塚歌劇団史上初のポジションで、龍真咲さんのトップスター就任と同時に発表されました。

「準トップスター」とは、「大劇場でトップと同じ役を担える存在」として位置づけられ、実際に2作連続でトップと役替わりという前例のない待遇を受けました。

この発表を聞いた時の明日海さんの反応は、「え、何?」だったそうです。

本人も驚くほどの異例の人事でしたが、これは劇団側が明日海さんの実力を高く評価していた証拠でもありました。

ただし、この「準トップ」というポジションについては、ファンの間でも様々な意見がありました。

「なぜそんなポジションを作る必要があったのか?」「明日海さんにとって良かったのか?」など、今でも議論されることがある複雑な人事でした。

3-3. 昔の写真に見る成長の軌跡

昔の明日海さんの写真を見ると、現在との違いに驚かされます。

初舞台の頃のレオタード姿では、女性的な柔らかな曲線美が印象的で、あどけない笑顔がとても可愛らしいものでした。

体型も現在とは大きく異なり、華奢ながら適度に丸みがあって、健康的な美しさを感じさせました。

顔立ちも、完成度は高かったものの、どこか初々しさが残っていて、「初舞台生とは思えない美貌」と言われながらも、まだ少女らしさがありました。

現在の明日海さんは、スレンダーでシャープな美しさが印象的ですが、昔の写真を見ると「こんなに変わるものなのか」と感慨深いものがあります。

それだけ、宝塚での16年間が彼女を大きく成長させたということでしょう。

4. 89期生という特別な世代

4-1. トップスター3名を輩出した黄金世代

89期生が特別な世代である理由の一つは、3名ものトップを輩出したことです。

これは宝塚歌劇団の歴史を見ても、非常に稀なことでした。

  • 明日海りお:花組トップスター(2014-2019年)
  • 望海風斗:雪組トップスター(2017-2021年)
  • 夢咲ねね:星組トップ娘役(2015-2020年)

さらに、凪七瑠海さんは首席卒業を果たし、その他にも美弥るりかさん、蓮城まことさん、七海ひろきさんなど、各組で活躍する生徒が多数いました。

この「黄金世代」とも呼ばれる89期生たちは、お互いを刺激し合いながら成長していったのです。

明日海さんが花組でトップになった時、望海さんはまだ雪組の2番手でしたが、同期の明日海さんの活躍を見て「自分も頑張らなければ」と思ったに違いありません。

4-2. 同期生の絆とエピソード

89期生の素晴らしいところは、競争相手でありながら、深い友情で結ばれていることです。

明日海さんは初舞台の際に「一人一人が頑張るだけでなく、全員で力を合わせる事が大切」と語っていましたが、まさにその通りの世代でした。

音楽学校時代から、お互いを支え合い、切磋琢磨してきた89期生たち。

明日海さんと望海さんの友情は特に有名ですが、他の同期生たちも深いつながりを持っています。

例えば、七海ひろきさんとは現在もミュージカル『コレット』で共演しており、舞台上でも息の合った演技を見せています。

取材では「宝塚音楽学校入学時からともに芸を磨き続けてきた」と紹介され、長年の友情が感じられるほっこりとしたトークを繰り広げました。

4-3. 現在も続く89期生の絆

宝塚を退団した後も、89期生の絆は続いています。

明日海さんと望海さんは、お互いのラジオ番組にゲスト出演したり、舞台を観に行ったりと、公私にわたって交流を続けています。

2022年には、婦人公論でも二人の対談が組まれ、「宝塚の同期だけにわかる『あるある』」について語り合いました。

宝塚音楽学校の同期として出会った二人が、果たしてお互いをどう見ているのか、ファンにとってはたまらない内容でした。

また、89期生全体でも定期的に集まっているようで、SNSでは同期会の様子が時々アップされます。

みんなそれぞれ違う道を歩んでいますが、音楽学校時代に築いた絆は一生もののようですね。


まとめ

明日海りおさんの「昔」を振り返ると、静岡の一中学生が宝塚のトップスターへと駆け上がる奇跡の物語が見えてきます。

運命的な宝塚との出会い、三日三晩泣き続けた受験への決意、89期生としての青春、そして劇団史上初の準トップスターという異例のポジション。

これらすべてが現在の女優・明日海りおを形作る貴重な財産となっています。

昔の初々しい姿と現在の洗練された美しさ、そして変わらない仲間との絆こそが、多くのファンが彼女の「昔」に魅力を感じる理由なのかもしれません。

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