宝塚歌劇団の歴史において、「娘役の女帝」と呼ばれた女優がいます。それが花總まりさんです。
12年3ヶ月というトップ娘役在任期間は宝塚史上最長を誇り、その記録は今もなお破られていません。
退団後も『エリザベート』などのミュージカルで第一線を走り続ける花總まりさんは、舞台上の気品と美しさで多くのファンを魅了しています。
そんな花總まりさんについて、宝塚時代から長年ささやかれてきたのが「実家が金持ち」という噂です。
衣装が自前だとか、劇場に高価な贈り物をしたとか、さまざまなエピソードがファンの間で語り継がれてきました。
では実際のところ、花總まりさんの実家はどれほど裕福なのでしょうか?
また、両親や家族、兄弟はどのような人物なのでしょうか?
本記事では、花總まりさんの家族と実家にまつわる情報を丁寧に整理してお伝えします。
花總まりの実家は金持ち?噂の真相に迫る
花總まりさんの実家にまつわる「金持ち伝説」は、宝塚時代から現在に至るまで絶えることなく語り継がれています。
その噂の数々は、まるで都市伝説のようでもあります。
ファンの間で語られているお金持ちエピソードをまとめると、以下のようなものがあります。
- 入団して間もない時期に、舞台「白夜伝説」の大役・ミーミル役をお金で手に入れた
- 宝塚時代の舞台衣装はすべて自前で、なかには1着2000万円以上のドレスもあった
- 新東京宝塚劇場に、舞台で使う幕(緞帳)をプレゼントした
- 宝塚大劇場の建設時に、大理石の柱を複数寄付していた
- 大劇場付近の億ションに居住していた
これだけ並べると、いかにも「桁外れの資産家」というイメージが湧いてきます。
しかし、いくつかのエピソードについては実際に否定されているものもあります。
たとえば「衣装がすべて自前」という話については、劇団付きの衣装デザイナーである有村純さんが否定しており、噂が独り歩きした可能性が高いとされています。
ただし、実家が裕福であることは客観的な事実からほぼ確実視されています。花總まりさんは5歳からヴァイオリンを、小学校からはクラシックバレエを習っていました。
バレエは消耗品のトゥシューズだけでも1足1万円以上かかり、短期間で履き潰してしまうほど練習量も必要です。
さらに、出身校は日本女子大学附属高等学校という名門私立。
4人兄妹全員にこれだけの教育環境を用意できるというのは、相当な資産がなければ難しいことです。
実家の業種については「不動産業を営んでいる」という噂が長年流れており、
本名の「醍醐(だいご)」という苗字から「醍醐不動産のご息女では?」という見方もされてきましたが、確かな情報は確認されていません。
花總まりの家族構成・兄弟は?
花總まりさんの家族構成は、1男3女の4人兄妹です。
そして花總まりさんは、その末っ子として生まれ育ちました。
兄と2人の姉はいずれも一般人であり、芸能活動などの公的な記録はありません。
個人情報も公表されていないため、詳細はほとんど不明です。
花總まりさんが家族についてあまり多くを語らないこともあり、プライバシーはしっかりと守られているようです。
ところで、俳優の醍醐虎汰朗(だいご こたろう)さんとの関係を気にするファンも少なくありません。
検索エンジンで「醍醐虎汰朗」と調べると「花總まり」が一緒に表示されることがあるためです。
どちらも「醍醐」という珍しい苗字を持つことから、親戚なのではないかという噂が広まりました。
花總まりさんに兄と姉がいることは事実であり、その子ども(甥や姪)に当たる可能性はゼロではないとも言われています。
しかし、両者の関係を裏付ける確かな事実は今のところ見つかっておらず、推測の域を出ていません。
花總まりの両親・父親について
花總まりさんの両親のうち、父親については公開されている情報が非常に少ない状況です。
父親は一般人であり、名前・職業・経歴などの詳細はほとんど明かされていません。
ただし、花總まりさん本人が語った数少ない手がかりがあります。
それは「父親の名前に『總』という字が使われており、父方の家系は先祖代々この字を名前に受け継いでいる」というエピソードです。
花總まりさんの芸名「花總まり」の「總」という字は、まさにこの父方の家系から取られたものと推測されています。
父親の職業については「不動産経営者で高額納税者」という噂が長年流れています。
さらに、東京都の長者番付に「醍醐總一郎」という名前が記載されているという情報もあり、これが花總まりさんの父親または祖父に当たるのではないかとも噂されています。
しかし、本人が公表していない以上、確定的なことは言えません。
また、花總まりさんの本名「醍醐まり子」の「醍醐」という苗字から、旧華族・皇族との血縁説も生まれています。
日本の華族一覧には「醍醐忠順(だいご ただおさ)」という江戸時代末期の公卿が存在し、後陽成天皇の男系子孫に当たる人物です。
「醍醐」という苗字が歴史的に高貴な家柄を連想させることから、このような噂につながったようです。
しかし、華族の醍醐家はもともと京都(山城国)を拠点としており、東京都出身の花總まりさんとは地域的な隔たりがあります。
「醍醐」という苗字は全国に約3,900人しかいない珍しいものではありますが、旧華族との直接的なつながりを示す公式な証拠は見当たりません。
花總まりの母・青江奈美とは
花總まりさんの家族の中で最も多くの情報が知られているのが、母親の存在です。
母親の名前は青江奈美(あおえ なみ)さんといい、芸能界で活躍した女優でした。
青江奈美さんは、かつて宝塚歌劇団と並ぶ人気を誇っていた松竹歌劇団に所属していた女優です。
松竹歌劇団は東京・浅草の国際劇場を本拠地とした少女歌劇団で、青江奈美さんはそこで舞台経験を積みました。
また舞台女優としてだけでなく、1959年公開の映画『がんばり娘』や『決闘街』『新婚列車』など、映画にも複数出演しています。
花總まりさんにとって、母・青江奈美さんの存在は芸能の世界へ踏み出す大きなきっかけになりました。
花總まりさんは子役時代に雑誌の表紙を飾ったこともあり、幼いころから芸の道に親しんでいました。
また青江奈美さんが宝塚の正装である袴に憧れを持っていたこともあり、花總まりさんは「気がついたら宝塚の存在を知っていた」と語っています。
母の影響で5歳からヴァイオリンを始め、小学校からはクラシックバレエも習い始めました。
当初は音大への進学を希望していたものの、中学3年生のときに初めて宝塚の舞台を観劇し、
「舞台にだんだん興味がわいてきて、宝塚だったらいろいろと学べそう」と感じ、高校1年生の終わりに宝塚音楽学校を受験・合格。
ここに花總まりさんの伝説が始まります。
母親は宝塚時代も花總まりさんを叱咤激励し続け、支え続けてきた存在でした。
しかし2018年、青江奈美さんは逝去されました。花總まりさんはその後、テレビのインタビューで「近しい人にもあまり話せないでいた」と母への想いと別れの心情を吐露しています。
プロ女優としての母の背中を見て育った花總まりさんが、舞台に立つたびに母の存在を胸に刻んでいることは間違いないでしょう。
実家・家族のすべてが花總まりを作った
花總まりさんがなぜ宝塚史上最長のトップ娘役になれたのか。
その背景には、裕福な実家と、芸能の血を引く家族の存在が大きく影響していると考えられます。
母は松竹歌劇団の女優という芸能一家に生まれ、幼いころからヴァイオリン・バレエという高度な習い事を続けた花總まりさん。
名門私立校への進学、そして宝塚音楽学校への受験と入団。これらの道のりには、両親をはじめとする家族のしっかりとした経済的・精神的な支えがあったはずです。
宝塚在団中には、「衣装が自前では?」「億ションに住んでいる?」といった数々のお金持ち伝説が生まれました。
その真偽はさておき、それだけ花總まりさんが群を抜いた存在感・品格を持っていたことの裏返しでもあります。
単に裕福な家庭に生まれただけでなく、母という生きた手本を間近に見ながら、芸事と向き合い続けた結果が、あの唯一無二のオーラを生み出したのでしょう。
まとめ
花總まりさんの実家と家族についての情報を以下に整理します。
| 項目 | 内容 | 確度 |
|---|---|---|
| 実家が裕福 | 私立校・習い事・芸能一家の環境から確実視 | ◎ |
| 母親は青江奈美(元松竹歌劇団女優) | 本人も語った公知の事実 | ◎ |
| 母は2018年に逝去 | 本人がテレビで語った | ◎ |
| 兄弟は1男3女・末っ子 | 複数媒体が報告 | ○ |
| 父の名前に「總」の字 | 本人が明かした | ◎ |
| 父が高額納税者・不動産経営 | 噂のみ、確認できず | △ |
| 旧華族・皇族出身 | 苗字からの憶測、公式確認なし | △ |
| 衣装がすべて自前 | 衣装デザイナーが否定 | ✕ |
| 醍醐虎汰朗と親戚 | 同姓からの推測のみ | △ |
確かなことは、花總まりさんが裕福な家庭環境と芸能の血を引く家族のもとで丁寧に育てられ、その土台の上に宝塚の女帝としての輝かしいキャリアが築かれたということです。
実家や家族にまつわる噂の多くは、花總まりさんが舞台上で放つ気品と存在感があまりにも別格だったために生まれた「伝説」とも言えるでしょう。
今後も舞台女優・花總まりさんの活躍から目が離せません。


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