元宝塚歌劇団花組トップスターの蘭寿とむさん。
その上品で温かい人柄に魅了されるファンは数多く、退団後も変わらぬ人気を誇っています。
そんな蘭寿さんの魅力の源泉は一体どこにあるのでしょうか?
実は、彼女の実家での温かいエピソードを知ると、その答えが見えてくるんです。
兵庫県西宮市で育った蘭寿さんの家庭には、思わずほっこりしてしまうような愛情深い家族の物語がありました。
一方で、ファンの間では「実家が美容院なのでは?」という噂も。
この記事では、そんな気になる蘭寿さんの実家について、震災体験も含めて詳しくご紹介していきます!
蘭寿とむの実家の基本情報
西宮市で育った宝塚への道のり
蘭寿とむさんは1975年8月12日、兵庫県西宮市で生まれました。
実家は阪神間の住宅地にあり、宝塚までのアクセスも良好な立地だったんですね。
地元の武庫川中学校(現・武庫川女子大学附属中学校)に入学し、そのまま武庫川学院高等学校まで進学した蘭寿さん。
中学・高校の6年間を通して創作ダンス部に所属し、部長まで務めるという活発な学生時代を過ごしていました。
そして1994年、宝塚音楽学校に入学。
なんと、音楽学校時代は実家から通学していたんです!
当時の蘭寿さんは毎日電車で宝塚まで通い、厳しいレッスンに励んでいたというわけですね。
後にトップスターまで上り詰める彼女の原点が、この西宮の実家にあったのです。
愛情に満ちた4人家族
個性豊かな家族構成
蘭寿さんの実家は、お父さん、お母さん、2歳年上のお兄さん、そして蘭寿さん本人の4人家族です。
みなさん一般人として生活されているため、詳しいプロフィールは公開されていませんが、蘭寿さんが語るエピソードから、とても温かい家庭だったことが伝わってきます。
特に印象的なのが、蘭寿さんとお父さんの類似性!
なんと、全く知らない人でも「今日お父さん来られてましたよね?」と言われるほど、親子そっくりなんだそうです。
実際に、新人公演時代の面白いエピソードがあります。
『夜明けの序曲』の新人公演でかつら合わせをしていた時のこと。
散切り鬘を素顔でかぶった蘭寿さんを見た、新人公演の長だった水夏希さんが、お父さんと面識があったこともあって「つぎ、蘭寿…お父さん⁉︎」と驚いたんだとか!
それほど似ているということですね。
お父さんの愛情表現が素敵すぎる!
そんなお父さんですが、ユーモアに溢れた愛情深い方のようです。
蘭寿さんが語った心温まるエピソードをご紹介しましょう。
音楽学校時代、新人公演の稽古で毎晩遅く帰宅していた蘭寿さん。
ある日も疲れ果てて帰ってきて、家族は既に寝ていましたが、娘の帰宅に気づいて起きてきてくれました。
お母さんはご飯の支度をしてくれて、蘭寿さんは疲労困憊で全く喋らない状態。
そんな娘の様子を心配そうに見ていたお父さんが、次の行動に出たんです。
「まゆ、これ塩な。」「これ、醤油な。」「これ、ソースな。」
そして最後に…
「これ、お母ちゃんな。」
普段は絶対にお父さんのギャグに乗ってこない冷静なお母さんが、なんと「お母ちゃんです。」と応じたんです!
それを見た蘭寿さんは「お父さん面白い!」と笑顔を取り戻し、お父さんも「面白いか?元気になったか?」と娘を気遣う声をかけたそうです。
このエピソードを聞いた時、本当に心がほっこりしました。
お父さんなりの愛情表現で、疲れ切った娘を元気づけようとする姿が目に浮かびますよね。
蘭寿さんも「本当に温かい家庭で、両親から愛情をいっぱい注がれて育った」と振り返っており、現在の温かい人柄の原点がここにあることがよく分かります。
阪神・淡路大震災〜実家全壊という試練
音楽学校在学中の被災体験
蘭寿さんの実家を語る上で避けて通れないのが、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災です。
当時、蘭寿さんは宝塚音楽学校の1年生。
まさに夢に向かって歩み始めた矢先の出来事でした。
この震災で、蘭寿さんの実家は全壊という壊滅的な被害を受けたのです。
宝塚大劇場も被害を受け、蘭寿さんにとってはまさに人生の試練となる出来事でした。
しかし、蘭寿さんは後にこの体験について次のように語っています。
「実家は全壊し、大劇場も被害を受けた。大変な状況の中、舞台に没頭することで前進できた」
震災から学んだ人生の教訓
震災体験は蘭寿さんの人生観に大きな影響を与えました。
彼女は「震災で実感したのは、人のぬくもりや支え合いの大切さ」と語り、この経験が後の舞台人生にも活かされていくことになります。
特に印象的なのは、全国ツアーで東日本大震災の被災地を訪れた際、仮設住宅の入居者らに自らの被災体験を語ったというエピソード。
蘭寿さんにとって、震災は決して忘れることのできない原体験となっているのです。
「宝塚もここまで街並みを取り戻せたことがうれしい」という言葉からは、故郷への愛情と復興への思いが伝わってきますね。
自身の舞台人生を「震災からの復興の歩みと重なる」と表現した蘭寿さん。
困難を乗り越えて前進し続ける強さの源泉が、家族の絆と故郷への愛にあることがよく分かります。
「実家が美容院」説の真相は?
ファンの間で囁かれる噂
蘭寿さんについて調べていると、「実家が美容院らしい」という噂を目にすることがあります。
この噂、実際のところはどうなのでしょうか?
結論から言うと、これは事実ではありません。
調査した結果、蘭寿さんご本人の発言や報道にも、実家が美容室という話は一切ありませんでした。
噂の発生源を探ってみると…
では、なぜこのような噂が生まれたのでしょうか?
その理由を探ってみると、興味深い事実が浮かび上がりました。
実は、蘭寿さんは宝塚時代に「山野愛子美容室」のイメージキャラクターを務めていたんです!
山野愛子美容室は日本で最初に誕生した伝統ある美容室で、蘭寿さんはそのビューティウェルネスプラナーのイメージリーダーとして活動していました。
どうやら、この「山野愛子美容室のイメージキャラクター」という情報から、「実家も美容室なのでは?」と推測されたようですね。
ファンの皆さんが蘭寿さんに関する情報を繋ぎ合わせて考えた結果生まれた、愛ある勘違いだったというわけです。
実際の蘭寿さんの実家の職業については、ご家族が一般人であることもあり、公開されていません。
現在も続く実家との絆
結婚後も変わらない家族愛
2016年に松岡修造さんのいとこにあたる一般男性と結婚し、2022年には第一子を出産した蘭寿さん。
結婚して家庭を築いた現在も、実家との関係は良好に続いているようです。
2015年のデビューアルバム発売記念ライブの際には、「実家に寄ってから来ました」と笑顔で話していたという情報も。
きっと今でも頻繁に実家を訪れ、温かい家族との時間を大切にしているのでしょうね。
武庫川学院への感謝の気持ち
2011年、花組トップスター就任時には母校の武庫川学院を表敬訪問した蘭寿さん。
その際、「武庫川学院で過ごした6年間で身に付いた礼儀やマナーが今に生きています」と感謝の言葉を述べていました。
故郷の学校、そして実家への愛情が、現在も変わらず続いていることがよく分かるエピソードですね。
まとめ
蘭寿とむさんの実家について調べてみると、本当に愛情に満ちた温かい家庭で育ったことがよく分かりました。
お父さんのユーモア溢れる愛情表現、家族全体の深い絆、そして阪神・淡路大震災という困難を乗り越えた強さ—これらすべてが、現在の蘭寿さんの魅力的な人柄を形作っているのですね。
「実家が美容院」という噂は事実ではありませんでしたが、それだけファンの皆さんが蘭寿さんのことを深く知りたいと思っているということの表れでもあります。
実際の蘭寿さんの実家エピソードは、噂以上に心温まる素敵な話ばかりでした。
震災で実家を失うという辛い体験をしながらも、家族の支えと愛情に包まれて成長した蘭寿さん。
その経験があるからこそ、舞台で多くの人に感動を与え続けることができるのかもしれません。
今後も、実家で培われた温かさと強さを胸に、素敵な活動を続けていかれることでしょう。
蘭寿さんの魅力の原点である西宮の実家での日々が、これからも彼女を支え続けてくれるはずです。
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