バラエティ番組でのサバサバしたキャラクターや、元宝塚とは思えない気さくな笑いのセンスで人気を集める遼河はるひさん。
現在は女優・タレントとして幅広く活躍していますが、「そもそも宝塚では何をしていた人なの?」「トップスターだったの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
今回は、遼河はるひさんの宝塚現役時代にフォーカスして、何期生なのか、何番手だったのか、同期はどんな顔ぶれだったのか、そして退団理由まで、徹底的に解説していきます。
史上最高倍率を突破!遼河はるひは何期生?
遼河はるひさんは、宝塚歌劇団82期生です。
1994年に宝塚音楽学校へ入学し、1996年に宝塚歌劇団へ入団しました。
特筆すべきは、この1994年という年が、宝塚音楽学校の入試において史上最高の競争倍率48.25倍を記録した年だということ。
数百人もの受験生の中から選び抜かれた精鋭たちの一人が、遼河はるひさんというわけです。
遼河さん自身、もともと宝塚に縁があったわけではありませんでした。
高校生のとき、母親の友人に連れられて中日劇場で観劇した雪組の舞台『華麗なるギャツビー』に感動し、「私もこの舞台に立ちたい」と一念発起。
バレエの経験もゼロから猛特訓を積み、高校2年での初挑戦は不合格に終わったものの、翌年「人生であんなに頑張れたことはない」と振り返るほどの努力で見事合格を果たしました。
入団時の成績は11番。身長173cm、すらりとした体型と端正な顔立ちを活かして、月組に配属され男役としてのキャリアをスタートさせました。
豪華すぎる!82期の宝塚同期たち
遼河はるひさんの宝塚同期である82期生は、宝塚ファンの間で「伝説の期」とも称される、非常に豪華な顔ぶれが揃っています。
同期の主な顔ぶれを見ていきましょう。
- 蘭寿とむさん(元花組トップスター):82期の首席入団者。のちに花組トップスターとして活躍。
- 壮一帆さん(元雪組トップスター):2012年から2014年まで雪組のトップスターを務めた。
- 涼紫央さん(元星組スター):82期次席入団者。星組で男役スターとして活躍。
- 紺野まひるさん(元雪組トップ娘役):現在は女優として幅広く活動。
- 月船さららさん(元月組男役スター):遼河さんと同じ月組で活躍。
- 舞坂ゆき子さん(元雪組娘役):歌手・坂本九さんと女優・柏木由紀子さんの娘。
なんと82期生からは、トップスターが2名(蘭寿とむさん・壮一帆さん)も誕生しています。
新人公演の主演経験者やバウホール主演経験者も多数輩出しており、宝塚の歴史のなかでも屈指の「黄金世代」といえる期です。
遼河はるひさんはそんな激戦の同期の中で、着実に自らのポジションを築き上げていきました。
男役時代の歩み/現役時代を振り返る
遼河はるひさんの現役時代は、大きく3つのフェーズに分けられます。
月組時代(1996〜2001年)
入団後、月組に配属された遼河さんは、初舞台となった『CAN-CAN』『マンハッタン不夜城』からスタート。
1998年の月組公演『WEST SIDE STORY』では、オーディションでジェット団のメンバーに選ばれるなど、ダンスの実力でも存在感を示しました。
この頃から新人公演で2番手などの役を経験しながら成長を重ねていきますが、稽古場では上級生から「隣からスターとしての圧が感じられない」と言われることもあったといいます。
それでも腐ることなく、「お客様に育ててもらう」という意識で銀橋に立ち続け、スターとしてのオーラを少しずつ磨いていきました。
宙組時代(2001〜2006年)
2001年、遼河さんは宙組へと組替えになります。
そして翌2002年、宙組公演『鳳凰伝』の新人公演で主演(カラフ役)を務めるという大きなチャンスをつかみます。
突然の抜擢に「まさか自分が主役やるとは思ってもいなかった」と語っており、稽古場で名前が貼り出された瞬間は驚きで頭が真っ白になったそうです。
2003年にはバウホール公演『春ふたたび』でバウ初主演、2005年には『Le Petit Jardin 幸せの庭』でもバウ主演を経験。
さらに2006年、和央ようかさん・花總まりさんの退団公演『NEVER SAY GOODBYE』では、唯一の悪役ともいえる大役・フランシスコ・アギラール役を演じ、その演技力を高く評価されました。
月組復帰時代(2006〜2009年)
2006年、再び月組に組替えとなった遼河さんは、ここで月組3番手男役スターとして確固たる地位を確立します。
2007〜2008年の『HOLLYWOOD LOVER』では二番手役のリチャード・R・ローガン、2008年の日生劇場公演『グレート・ギャツビー』では二番手のニック・キャラウェイ役に抜擢されるなど、
公演によっては実質的に2番手に相当する重要な役を任されることも多くなっていきました。
何番手だったのか?トップスターには就任しなかった理由
遼河はるひさんが最終的に退団したときのポジションは、月組3番手でした。
ただし前述のように、公演によっては二番手に相当する役どころを担うことも多く、ファンからの支持も非常に厚かった実力派スターです。
173cmの高身長から繰り出す存在感のある舞台姿は、宙組・月組を通じて多くの観客を魅了しました。
では、なぜトップスターには就任しなかったのでしょうか。
宝塚のトップスターは、劇団側が総合的な判断のもとで決定するものです。
遼河さんは「もっとトップを目指して残ればよかったのでは」と思う方もいるかもしれませんが、
本人はそもそもトップになることへの強いこだわりよりも、「自分がやりたい芝居ができたかどうか」を大切にしていたタイプだったようです。
退団後のインタビューで「芝居がやりたかったなら、そのまま宝塚にいればよかった。でも自分の言葉で話したくなった」と語っているように、
遼河さんにとっては”トップに上り詰めること”よりも”充実した舞台経験”と”新しい自分の表現の場”を求めて動いた選択だったといえます。
相手役・共演したトップスターたち
遼河はるひさんはトップスターではなかったため、固定の「相手役(娘役トップ)」という立場ではありませんでした。
しかし在団中には、錚々たるトップスターとの共演を重ねています。
宙組時代には、宙組の絶対的エースだった和央ようかさん・花總まりさんのトップコンビが輝いた時代を支え、2006年の退団公演『NEVER SAY GOODBYE』では大きな見せ場を与えられました。
月組復帰後は、当時の月組トップスター瀬奈じゅんさんの組で活動。2008年の『夢の浮橋』では瀬奈さん演じた役の兄・ニの宮を演じ、トップと対峙する重要な役を担いました。
そして2009年の退団も、瀬奈じゅんさん、娘役スターの城咲あいさん・羽桜しずくさんらとの同時退団という形で幕を閉じました。
人気タカラジェンヌが一度に退団するという出来事は、当時ファンの間で大きな衝撃を与えたといいます。
退団理由は「やりきった満足感」だった
遼河はるひさんの退団理由は、スキャンダルでも体調不良でもなく、純粋な「満足感」でした。
退団を考え始めたのは2006年の『グレート・ギャツビー』への出演がきっかけです。
もともと遼河さんが宝塚を目指すきっかけとなったのが、学生時代に観劇した舞台『華麗なるギャツビー』でした。
その再演にあたる2008年の日生劇場公演で、かつて一路真輝さんが演じたのと同じニック・キャラウェイ役を自分が演じることができた。
「それで思い残すことはない。今だなと思った」と、退団の決意を固めたのです。
さらに退団公演となった『エリザベート』でルドルフ皇太子を演じた際は、下級生とのトリプルキャストという決して有利ではない条件のもと、同時退団したトップスター・瀬奈じゅんさんから「神懸かり的」と絶賛されるほどの名演を披露。
「あの舞台はプレッシャーも緊張も全然なくて。あんなに周囲からの反応が良かったのも初めて。もう十分。」という言葉どおり、やりきった満足感のなかで宝塚の幕を閉じました。
また、退団後の進路についても独自のビジョンを持っていました。
宙組在籍中にCS放送の宝塚専門チャンネルでトーク番組に出演した経験から「役を演じるのではなく、素の自分の言葉で伝えることができる」バラエティの面白さに気づき、
芸能界でも王道の女優路線ではなくバラエティ方面を目指すことを決めていたのです。
まとめ
遼河はるひさんの宝塚現役時代を振り返ると、そのキャリアの充実ぶりが改めてよくわかります。
- 期生:82期生(1994年音楽学校入学・史上最高倍率48.25倍)
- 入団成績:11番
- 所属組:月組→宙組→月組(計2回の組替え)
- 最終番手:月組3番手(公演によっては二番手クラスの役も担当)
- トップスター就任:なし
- 同期:蘭寿とむさん・壮一帆さん・涼紫央さん・紺野まひるさんら豪華な顔ぶれ
- 退団理由:憧れの役を演じきり、「やり残したことは何もない」と感じたため
トップスターの座には就かなかったものの、新人公演主演からバウ主演、二番手クラスの大劇場公演まで幅広く経験し、
トップを含む多くのスターと共演した、まさに実力と個性を兼ね備えた男役スターでした。
退団後は、その宝塚時代で培った舞台の基礎力と独自のキャラクターを武器に、バラエティ・ドラマ・映画など幅広いフィールドで活躍を続けています。
宝塚時代の遼河はるひさんを知れば、現在の彼女の魅力がより深く理解できるはずです。


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