元宝塚歌劇団宙組の初代トップスターとして多くのファンを魅了した姿月あさとさん。
華やかな舞台を去った後の私生活、特に結婚相手である夫や離婚説について気になる方も多いのではないでしょうか。
2000年の寿退団から25年が経った現在、姿月あさとさんはどのような結婚生活を送っているのでしょうか。
今回は、姿月あさとさんの夫・結婚相手の詳細情報から、根強く囁かれる離婚説の真相まで、徹底的に解説します。
姿月あさとの結婚相手・夫のプロフィール
運命の相手は外資系エリートサラリーマン
姿月あさとさんの夫は、赤坂信太郎さんという一般男性です。
結婚当時は外資系旅行会社の現地駐在員として海外で活躍するエリートサラリーマンでした。
姿月あさとさんより2歳年下で、2000年7月7日に入籍しています。
興味深いことに、赤坂信太郎さんは宝塚歌劇団について全く知らない一般男性でした。
そのため、姿月あさとさんにとって彼は、宝塚の特殊な世界から完全に離れた、純粋な一人の女性として自分を見てくれる貴重な存在だったのです。
香港での運命的な出会い
二人の出会いは、まさに運命的なものでした。
姿月あさとさんが宝塚現役時代に香港へ旅行に行った際、依頼したコーディネーターが来なくて困っていたところを、当時香港支店で勤務していた赤坂信太郎さんが助けてくれたのです。
この香港でのトラブル解決がきっかけとなり、二人の関係が始まりました。
その後、当時オーストラリア勤務だった赤坂さんに誘われて2泊3日でオーストラリアを訪問し、正式に交際がスタート。
出会いから結婚まで5年間の交際期間中、実際に会ったのは10回程度という遠距離恋愛でしたが、姿月あさとさんは初めて会った時から結婚の予感があったと語っています。
夫婦の愛らしい呼び方
姿月あさとさんご夫婦は、お互いを「ダーリン」「ベイビー」と呼び合うそうです。
外国で生まれ育った赤坂さんは外国人っぽい気質で感情表現がストレートで、毎日何度も「好きだよ」と言ってくれる優しい性格の持ち主だといいます。
このような夫婦の関係性からも、二人の深い愛情が伺えます。
姿月あさとの結婚式について
帝国ホテルでの格式高い挙式・披露宴
姿月あさとさんと赤坂信太郎さんの結婚式は、東京の帝国ホテルで行われました。
2000年7月の挙式・披露宴には、多くのファンが姿月あさとさんの幸せを祝福するために駆けつけたようです。
ファンブログによると、「帝国ホテルでの結婚式、披露宴。私と友人は、ずんちゃんのお幸せを祝いたくて、ロビーにいました。披露宴が終わって…」という記録が残っており、
宝塚時代から愛され続けてきた姿月あさとさんを慕うファンたちが、ホテルのロビーで温かく見守っていた様子が伺えます。
プライベートを重視した挙式
姿月あさとさんの結婚式は、芸能人としては比較的プライベートな形で行われました。
大々的な報道はされず、家族や親しい友人たちに囲まれた温かい雰囲気の中で、人生の新たなスタートを切ったのです。
興味深いことに、姿月あさとさんは後に2010年のミュージカル『ドラキュラ伝説 〜千年愛〜』の製作発表記者会見で、
松平健さんとの”模擬挙式”を行った際、
「結婚しているんですが、披露宴だけだったので『誓います』みたいなことは先ほど初めてしました。緊張しました」とコメントしています。
このことから、実際の結婚式では披露宴が中心で、チャペルでの挙式形式ではなかった可能性が高いことが分かります。
結婚から現在まで25年間の夫婦生活
宝塚退団と結婚への決断
姿月あさとさんは2000年5月に宝塚歌劇団を退団し、同年7月に赤坂信太郎さんと結婚しました。
実は退団時は結婚の予定も予感もなかったそうですが、退団直後に「この人と結婚するんだ」と直感が働いたといいます。
宝塚歌劇団に所属する条件は独身であることです。
つまり、結婚するためには退団が必要でした。
宝塚のトップスターという輝かしいキャリアを捨ててでも結婚を選んだ背景には、「普通の女性としての幸せ」への強い憧れがありました。
バリ島での新婚生活(2000-2004年)
結婚後、姿月あさとさんは夫の海外赴任に同行して、インドネシアのバリ島で4年間の新婚生活をスタートさせました。
豪邸にお手伝いさん4人付きという生活環境の中、姿月あさとさんは積極的に現地の人々と交流し、インドネシア語も習得しました。
バリ島での生活は、姿月あさとさんにとって「姿月あさと」から一人の女性「順子」として生きる喜びを実感できた貴重な期間でした。
この体験があまりにも印象深かったため、後に『優しいバリ 私が「わたし」に返る島』という本まで出版しています。
オーストラリア・ケアンズでの充実した3年間(2004-2007年)
2004年、夫婦は今度はオーストラリアのケアンズに移住しました。
ここでも3年間という長期間を過ごし、姿月あさとさんは現地の文化に深く溶け込みました。
その証拠に、2006年の日豪交流年には観光広報親善大使に就任するほどでした。
オーストラリアでの生活について、姿月あさとさんは「大人が素敵な街だった」と振り返っています。
仕事が終わってから家族や友人とバーで飲んだりクラブで踊ったりする大人たちの姿を見て、「いつまでも堂々とエンジョイできる素敵な大人になろう」と思ったそうです。
日本帰国後の現在(2007年-)
2007年4月、赤坂さんの東京転勤に伴い、夫婦はついに日本に帰国しました。
7年間の海外生活を終えて戻ってきた日本で、姿月あさとさんは再び本格的な芸能活動を開始します。
帰国後の姿月あさとさんは、ソロアーティストとしてのコンサート活動やミュージカルへの出演など、より自由度の高い表現の場を求めていきました。
この時も、夫の理解とサポートが彼女の活動を支える大きな力となっています。
子供について
結婚から25年が経った現在、姿月あさとさんご夫婦には子供はいません。
しかし、二人はそれぞれの人生を大切にしながら、お互いを支え合う理想的なパートナーシップを築いています。
子供がいない理由については公表されていませんが、夫婦二人だけの時間を大切にする生活スタイルを選択されているようです。
離婚説の真相と夫婦の絆
離婚説が生まれた3つの原因
結論から申し上げると、姿月あさとさんは離婚していません。
2025年現在も赤坂信太郎さんとの結婚生活を継続されています。
それではなぜ離婚説が生まれたのでしょうか。
主な原因は以下の3つです。
1. 布袋寅泰さんとの不倫疑惑(2008年頃)
日本帰国から2年後の2009年頃、姿月あさとさんと歌手の布袋寅泰さんとの不倫疑惑が報じられました。
布袋さんも既婚者だったため「W不倫」として話題になりましたが、当事者からの明確な認否はなく、真偽のほどは定かではありません。
しかし、この報道が離婚危機説の発端となりました。
2. 長期間の海外生活による「消息不明」状態
7年間の海外生活により、姿月あさとさんは日本のメディアからほぼ完全に姿を消していました。
ファンにとっては「姿月あさとさんはどこに?」という状況が続き、この「消息不明」状態が様々な憶測を呼び、離婚説へと発展していったのです。
3. メディア露出の減少
帰国後も、姿月あさとさんは大手芸能事務所に所属せず個人で活動していることもあり、テレビ番組への出演機会が限られていました。
「あんなに人気だった姿月あさとさんが最近見ないね」という声から「落ち目説」、そして「離婚説」という憶測の連鎖が生まれてしまったのです。
離婚説を否定する根拠
離婚説がデマであることを示す根拠はいくつもあります。
まず、姿月あさとさんは現在も結婚時の姓である「赤坂順子」として活動されています。
離婚していれば旧姓に戻すのが一般的ですが、そのような変更はありません。
また、公式な離婚発表は一切なく、最近のインタビューでも夫への感謝や愛情を語ることがあります。
これらの事実が、離婚説を否定する大きな材料となっています。
スキャンダルを乗り越えた夫婦の強さ
不倫報道が出た時、多くの夫婦なら大きな危機を迎えるところですが、姿月あさとさんご夫婦は違いました。
報道に対して一切のコメントを出さず、沈黙を貫くことで家族の平穏を守る道を選んだのです。
この対応からは、夫婦間での深い話し合いと相互理解があったことが伺えます。
外野の騒音に惑わされることなく、二人だけの世界を大切にする姿勢は、本当に強い絆で結ばれた夫婦だからこそできることでしょう。
姿月あさとが語る結婚観と夫への想い
一般男性との結婚を選んだ理由
宝塚のトップスターとして活躍していた姿月あさとさんには、同じ芸能界の男性との出会いもあったことでしょう。
それにも関わらず、宝塚のことを全く知らない一般男性である赤坂信太郎さんを選んだ背景には、「普通の女性としての幸せ」への強い憧れがありました。
香港でのトラブルを助けてくれた赤坂さんの存在は、姿月あさとさんにとって「姿月あさと」ではなく「新保順子」として愛してくれる人でした。
宝塚の特殊な環境から離れ、一人の女性として愛されたいという気持ちが、一般男性との結婚を選ぶ大きな理由となったのです。
海外生活で得た人生の財産
7年間の海外生活は、姿月あさとさん夫婦にとって人生の財産となりました。
異なる文化の中で生活することで得た広い視野と深い人間性は、後の芸能活動にも大きな影響を与えています。
姿月あさとさんは海外生活について「自分のことを誰も知らないところに行くのが嬉しかった」と語っています。
これは、「姿月あさと」という舞台上の人格から離れ、本来の自分を取り戻すことができた貴重な体験だったということでしょう。
夫のサポートによる芸能活動継続
現在も精力的に芸能活動を続けている姿月あさとさんの背後には、常に夫の理解とサポートがあります。
コンサート活動やミュージカル出演など、不定期で多忙なスケジュールを理解し、家庭を支えてくれる夫の存在は、姿月あさとさんにとって何よりも心強いものです。
特に、7年間の海外生活を通じて培った夫婦の絆は、芸能活動における精神的な支えとなっています。
赤坂さんは、姿月あさとさんの才能と情熱を誰よりも理解し、彼女が輝き続けることを応援し続けているのです。
まとめ
姿月あさとさんの結婚相手である夫・赤坂信太郎さんとの25年間にわたる結婚生活は、香港での運命的な出会いから始まり、
バリ島とオーストラリアでの海外生活、そして日本帰国後の新たなスタートまで、まさに愛に満ちています。
離婚説は根拠のない噂に過ぎず、実際には様々な困難を乗り越えて深い絆で結ばれた理想的な夫婦関係を築いています。
宝塚のことを全く知らない一般男性との出会いが、姿月あさとさんに「普通の女性としての幸せ」をもたらし、7年間の海外生活が二人の絆をより深いものにしました。
現在も夫のサポートを受けながら芸能活動を続ける姿月あさとさんの姿は、多くの人にとって理想的な夫婦関係の見本と言えるでしょう。
これからも姿月あさとさんの活動と、二人の幸せな結婚生活が続いていくことを、多くのファンが温かく見守っていることでしょう。
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