ジャニーズJr.からB&ZAIのメンバーとして活躍する矢花黎さん。
音楽大学を卒業し、ベース、ギター、ドラムなど複数の楽器を操る彼には、実は「オーディションを4回受けた」という極めて珍しい経歴があることをご存知でしょうか。
通常、ジャニーズのオーディションは一度合格すれば入所となりますが、矢花さんは入所後も何度もオーディションに呼ばれ続けるという異例の体験をしています。
その背景には、入所当時のやる気のなさと、その後の劇的な覚悟の変化がありました。
この記事では、矢花黎さんのオーディション4回の全記録と、入所当時の苦悩、そして尊敬する先輩である長瀬智也さんや内博貴さんとの深い絆について詳しく解説します。
同期がいないという複雑な事情や、音楽家として開花するまでの道のりも明らかになります。
矢花黎が4回もオーディションを受けた理由
叔母の履歴書から始まった予期せぬジャニーズ入り
矢花黎さんがジャニーズ事務所に入所したのは2011年2月6日。
しかし、そのきっかけは本人の意思ではありませんでした。
ジャニーズファンだった叔母さんが履歴書を送ったことで、オーディションに参加することになったのです。
当時小学4年生だった矢花さんは、ジャニーズ事務所にあまり興味がなく、オーディションも終始乗り気ではなかったといいます。
送った履歴書もほとんど自分で書いておらず、唯一志望理由だけ促されて渋々書いたそうです。
入所後も、矢花さんは「親になんて言ってやめようか、ずっと考えてた」と振り返っています。
小学生らしく、友達と遊びたいという気持ちが強く、活動に積極的に参加していませんでした。
この入所直後の消極的な姿勢が、後に「4回のオーディション」という珍しい経験につながることになります。
4回のオーディション全記録
矢花さんが参加した4回のオーディションの詳細を時系列で見ていきましょう。
1回目:2011年2月6日
記念すべき最初のオーディションでは、矢花さんが合格しました。
同じオーディションには、後に7 MEN 侍のメンバーとなる菅田琳寧さんのほか、Travis Japanの松田元太さん、Sexy Zoneの松島聡さんもいました。
ただし、菅田さんは「3月20日入所」と主張しており、オーディションの曲が違ったことから、実際の入所日には若干の違いがあったようです。
2回目:2011年6月
入所からわずか4ヶ月後、矢花さんは再びオーディションに呼ばれます。
このオーディションで合格したのは、後にメンバーとなる本髙克樹さんでした。
本髙さんは、振付師から「こんな速さで(ダンスが)覚えられなかったらJr.になんかなれねぇよ」という言葉を聞いて半ば諦めていたというエピソードがあります。
3回目:2012年6月3日
2回目から1年後、矢花さんは3度目のオーディションに参加します。
このオーディションは昼と夜に分かれて実施され、今野大輝さんが入所しました。
同期には和田優希さん、松井奏さん、川崎皇輝さんなどがいました。
矢花さんはこの後、舞台『SUMMARY』の練習には参加したものの、本番には出演できなかったという「トホホエピソード」も残しています。
4回目:2015年5月2日
最後のオーディションは、なんと入所から4年後でした。
このオーディションはGWの前日に連絡が来たため集まりが悪く、過去最少数だったといいます。
ここで入所したのは佐々木大光さん、そして後にSnow Manとなる高橋優斗さん、岩崎大昇さん、ラウールさん、黒田光輝さんでした。
今野さんは矢花さんについて「よく見るなあ」と思っていたそうで、4回もオーディションに参加した矢花さんの存在は、他のメンバーにとっても印象的だったようです。
「Jr.は3種類ある」発言の真意
2020年10月にYouTubeで公開された動画で、矢花さんは衝撃の告白をしました。
「俺は4回くらい(オーディションに参加した)。何回も名札つけたもん」という発言に、メンバーは「マジ?」「何回やってんだよ」「まだ入ってなかったのかよ」と大混乱。
そこで矢花さんが語ったのが、「Jr.は3種類ある」という独自の理論でした。
「エリートでいく子と、定期的に呼ばれる子と、何回もオーディションに混ぜられる子」という分類です。
しかし、他の5人は「その枠、知らなかった」と動揺を隠せませんでした。
矢花さんによると、「呼ばれて行ったらまた名札があって」というパターンで、いつの間にかオーディションに参加していたそうです。
この独特な経験から、矢花さんは「ジャニーズオーディションマスター」とも呼ばれるようになりました。
本髙さんは「スゴい泥臭くジャニーズに入られたんですね」「ジャニーズでも、オーディションを語れる人間って、あんまいないと思うよ」と皮肉交じりに称えています。
入所当時の苦悩から覚悟を決めた瞬間まで
小学生時代の葛藤
入所当時の矢花さんは、アイドル活動に対して複雑な感情を抱いていました。
小学生という活発な時期に、友達との時間を優先して遊びたいという気持ちが大きく勝っていたのは当然のことでしょう。
「親になんて言ってやめようか、ずっと考えてた」という言葉からは、当時の矢花さんの正直な心境が伝わってきます。
周りがみんな遊んでいるのに仕事をしなければならないという状況に、葛藤していたのです。
実際、入所直後は活動に積極的に参加しておらず、その影響で何度もオーディションに呼ばれることになりました。
2011年で入ったはずなのに2012年も2015年もオーディションに参加していたのは、この消極的な姿勢が理由だったと考えられます。
転機となった2つの出来事
そんな矢花さんに転機が訪れたのは、2015年5月の最後のオーディションから約半年後のことでした。
一つ目の転機は、ジャニー喜多川さんの「ジュニア内でバンドをやりたい」という提案でした。
中学2年生でベースを、その半年後にギターを始めていた矢花さんにとって、得意のベースやドラムを武器に活動できるというのは、まさに天職とも言える機会でした。
これをきっかけに、矢花さんは先輩のバックでバンド演奏をする活動を本格的に開始します。
二つ目の転機は、参加したライブのグッズパンフレットに自分の顔と名前が載ったことでした。
初めて出演した「ジャニーズ・ワールド」のパンフレットに自分の名前と顔写真が載ったことがとても嬉しく、これをきっかけに「ここでやっていく」という覚悟が決まったといいます。
嶺亜さんによると、「ジャニーさんは、矢花のことはちゃんと知ってたよ。楽器が何でもできるって才能を買ってたから」とのこと。
ジャニー喜多川さんは、矢花さんの音楽的才能を早くから見抜いていたのです。
7 MEN 侍への途中加入
2018年12月、矢花さんは7 MEN 侍に途中加入します。
これは、メンバーの今野大輝さんと佐々木大光さんが「矢花をグループに入れたい」と事務所に話したことがきっかけでした。
しかし、当時高校3年生で大学入学も控えていた矢花さんは、加入を迷っていたといいます。
仕事と学業を両立してちゃんとやっていけるのかという不安があったのです。
そんな矢花さんの背中を押したのは、またしてもジャニー喜多川さんでした。
「チャンスは大事にしたほうがいい」という言葉を受け、矢花さんは加入を決意。
これが、7 MEN 侍のバンドスタイルを確立させる大きな一歩となりました。
矢花さんは7 MEN 侍に後から加入した唯一のメンバーであり、彼の加入によってグループの音楽クオリティは飛躍的に向上しました。
同期がいない?複雑な「同期」事情
4回もオーディションを受けた矢花さんには、独特の「同期」事情があります。
矢花さん自身が「同期というイメージのメンバーがいない」としきりに話していたように、誰が同期なのかが非常に曖昧なのです。
正式な入所日は2011年2月6日とされていますが、その後も2011年6月、2012年6月、2015年5月とオーディションに参加し続けました。
そのため、同じオーディションを受けたメンバーは数多くいるものの、明確な「同期」という感覚は持ちにくかったようです。
1回目のオーディションでは菅田琳寧さん、松田元太さん、松島聡さんと一緒でしたが、菅田さんは「3月20日入所」と主張しており、オーディションの曲も違ったといいます。
2回目では本髙克樹さん、3回目では今野大輝さん、4回目では佐々木大光さんやラウールさんと同じオーディションを受けました。
3回目のオーディション(2013年か2014年)については、矢花さん本人も記憶が曖昧で、同期も分からないという状態です。
このように、4回のオーディション経験は、矢花さんに特殊な立ち位置をもたらすことになりました。
一方で、仲の良いジュニアとしては、和田優希さん、末武幸紘さん、髙橋汐音さん、今野大輝さんなどがいます。
特に髙橋さんと末武さんとは高校も同じで学年も同じだったそうです。
77の質問企画では「ジャニーズでは誰と仲が良い?」という質問に対し「和田優希(Jr.SP)」と答えています。
尊敬する先輩と音楽への情熱
憧れの存在・TOKIO長瀬智也
矢花黎さんが尊敬する先輩として真っ先に名前を挙げるのが、TOKIOの長瀬智也さんです。
77の質問企画で「ジャニーズで憧れの先輩は?」と聞かれた際には「TOKIO」と即答し、「1日だけ入れ替わるならジャニーズの誰になりたい?」という質問には「長瀬智也(TOKIO)」と答えています。
また、「ジャニーズの楽曲で好きな曲は?」には「雨傘/TOKIO」を挙げました。
「雨傘」は椎名林檎さんが作詞し、東京事変が編曲を担当した楽曲で、矢花さんは佐野晶哉さんとともにこの曲をカバーした動画を公開しています。
原曲をリスペクトしたガチなカバーで、ワウペダルを効果的に使用するなど、細部まで原曲を研究した演奏が話題となりました。
興味深いのは、矢花さんが「憧れの人をつくるとその人を超えられなくなるから憧れの先輩は作らないようにしている」という考えも持っていることです。
長瀬さんへの尊敬の念を持ちながらも、自分自身の道を切り開こうとする姿勢が感じられます。
2024年、運命の機材購入
2024年6月、矢花さんと長瀬さんの間に心温まるエピソードが生まれました。
都内のリサイクル店で長瀬智也さんの音楽機材が販売されているという情報がSNSで話題になり、多くのファンが注目する中、矢花さんがその一部を購入したことが明らかになったのです。
矢花さんはジュニア公式インスタグラムのストーリーズで、購入した機材とともに「大事にするのでもし良ければ使い方教えてください」というメッセージを投稿しました。
写真では、TOKIOのキャップをかぶり、「TOKIO-BA」(TOKIOが手がける福島県の活動拠点)のステッカーを貼ったパソコンも写り込んでおり、矢花さんのTOKIO愛が溢れる内容となっていました。
購入したアンプの液晶画面にはTOKIOの楽曲「WATER LIGHT」の文字が表示されており、これが長瀬さんの機材であることは間違いありませんでした。
この投稿に対して、ファンからは「長瀬君の機材、矢花くんのもとに届いてよかった」「宝物だな」「後輩が受け継いだの素敵」「これからの楽曲制作楽しみ」といった温かいコメントが多数寄せられました。
矢花さんは八王子出身で、音楽機材を使いこなし、自分たちもバンドをしているからTOKIOが好きだと公言していました。
尊敬するアーティストとして長瀬さんの名前を挙げていた矢花さんが、長瀬さんの機材を受け継ぐことになったのは、まさに運命的な出来事だったと言えるでしょう。
内博貴さんとの師弟関係
矢花さんには、もう一人深い絆で結ばれている先輩がいます。
それが内博貴さんです。
2017年から、矢花さんは内博貴さん主催のステージにベーシストとして参加しています。
内さんからは絶大な信頼を寄せられており、あるときプロのドラマーの方が参加することになり、矢花さんは「プロの方とやるんだ」という緊張から知らず知らずのうちに緊張していたといいます。
練習の中でいろいろな話をして課題もたくさんもらい、次の回も呼んでもらえることになりました。
そのとき、内さんから「おれのバンドのベースはお前だから」と言ってもらったことで、矢花さんは感動して普通に泣いたそうです。
「僕より上手な人なんて全然いるし、プロの方を選ぶこともできるなかで、『お前がベースだよ』って言ってくれたのがすごく嬉しくて」という矢花さんの言葉からは、内さんへの深い感謝の気持ちが伝わってきます。
また、矢花さんが夏に聴きたいジャニーズソングとして挙げたのが、内博貴さんの『0の誓い』でした。
「サマパラに矢花くんが出た時新曲としてできた曲で、僕が初めての演奏者になったんです」と語っており、この曲への特別な思い入れがうかがえます。
関ジャニ∞・丸山隆平さんへの憧れ
矢花さんは関ジャニ∞も好きな先輩として挙げています。
2021年2月8日放送の『月曜から夜ふかし』で、完全プライベートで成人式の前撮りに行った帰りに街頭インタビューを受けた矢花さん。
事務所に確認を取って許可をもらったうえで出演し、「職業・ジャニーズ」と公言して話題となりました。
そのインタビューの中で「ジュニアはみんな村上信吾さんに感謝している」と公言した後、「尊敬する先輩は?」という質問には「丸山くん」と答えてオチをつけ、しっかりと爪痕を残していきました。
丸山隆平さんはベーシストとしても知られており、『ベース・マガジン』の表紙を飾ったこともあります。
矢花さんも「関ジャニ∞の丸山(隆平)くんが『ベース・マガジン』の表紙になったみたいなのも憧れます」と語っており、同じベーシストとして憧れの存在であることがわかります。
まとめ
矢花黎さんの「オーディション4回」という珍しい経歴は、入所当時のやる気のなさと、その後の劇的な覚悟の変化を物語っています。
小学生時代に「親になんて言ってやめようか」と悩んでいた少年が、ジャニー喜多川さんの言葉とパンフレットに載った喜びをきっかけに、音楽家としての道を本格的に歩み始めました。
2011年から2015年までの4回のオーディション参加は、「エリート」「定期的に呼ばれる子」「何回も混ぜられる子」という矢花さん独自の分類の中で、彼が最後のカテゴリーに属していたことを示しています。
しかし、この泥臭い経験こそが、矢花さんの粘り強さと音楽への真摯な姿勢を育てたのかもしれません。
尊敬する先輩である長瀬智也さんの機材を受け継ぎ、内博貴さんから「おれのバンドのベースはお前だから」と信頼される存在となった矢花さん。
入所当時の苦悩を乗り越え、今では音楽大学を卒業し、B&ZAIのバンドリーダーとして活躍しています。
同期がいないという複雑な立ち位置も、矢花さんにとっては独自の強みとなりました。
様々な世代のメンバーと関わりを持ち、幅広い人脈を築いてきたことが、今の多彩な音楽性につながっているのでしょう。
4回のオーディションという異例の経験を経て、音楽家として大きく開花した矢花黎さん。
これからも尊敬する先輩たちの背中を追いかけながら、自分自身の音楽を追求していく姿が楽しみです。


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