和央ようかの年齢・本名・身長は?何期生で同期は誰?高校や英語力まで

宝塚

宝塚歌劇団の元宙組トップスターといえば、和央ようかさんの名前を真っ先に挙げるファンも多いのではないでしょうか。

174cmの長身と中性的な美貌で舞台を彩り、平成以降最長となる約6年間もトップスターの座に君臨した、まさに伝説的な存在です。

退団後は作曲家のフランク・ワイルドホーンさんと国際結婚し、ニューヨークやハワイを拠点に女優・モデルとして活躍の場を世界へ広げています。

そんな和央ようかさんについて

「本名は何?」
「身長はどのくらい?」
「宝塚では何期生だったの?」

など、気になる疑問はつきません。

この記事では、和央ようかさんのプロフィールを基本情報から掘り下げ、性格・歌唱力・英語力まで、ファンなら知っておきたい情報をまるごと解説します。

プロフィール基本情報――年齢・何歳・身長

まずは基本的なプロフィールから確認しましょう。

和央ようかさんは1968年2月15日生まれ。2026年4月現在で57歳です。

東京都世田谷区で生まれ、その後すぐに大阪府大阪市天王寺区へ移り住み、大阪育ちとして成長しました。

愛称は「たかちゃん」や「たかこ」で、ファンにも親しまれています。

そして何といっても注目されるのが身長174cmというスタイルです。

宝塚歌劇団の中でもこれだけの長身は際立っており、宙組時代には姿月あさとさんや湖月わたるさんとともに「長身トリオ」として話題になりました。

男役としてのスラリとした立ち姿は、まさに舞台映えの象徴。舞台を超えた存在感を放っていました。

この長身は退団後も強みとして機能しています。

2016年にはニューヨークの大手エージェンシー「CESD」、上海最大手のモデルエージェンシー「ESEE MODEL」と契約し、「TAKAKO」名義でモデルとして世界デビュー。

50代にして国際的なモデル活動を本格化させたことは、多くの女性たちに「年齢も枠も関係ない」という勇気を与えました。

本名はなに?「TAKAKO」の由来

和央ようかさんの本名については、姓は公式に公開されていません。

しかし、下の名前が「たかこ」であることは夫・フランク・ワイルドホーンさんの発言からわかっています。

フランクさんは取材の場で「TAKAKO(和央さんの本名)は、僕が有名な作曲家だって全然わかってなかったんだ」と笑いながら話しており、

本名が「たかこ」であることをさりげなく明かしています。

宝塚時代の愛称「たかちゃん」「たかこ」も、この本名に由来するものと考えられます。

2016年には、日本国外での活動名を正式に「TAKAKO」とすることを発表。

現在のInstagramアカウントも「Takako/和央ようか(Yoka Wao)」という名義で運用されており、日本と世界の両方でアイデンティティを大切にしながら活動していることがうかがえます。

高校はどこ?宝塚を目指したきっかけ

和央ようかさんが通っていた高校は、大阪にある帝塚山学院高等学校です。

幼少期から芸術に縁のある環境で育ち、小学1年生のころからクラシックバレエとピアノを習っていました。

中学に上がるとバレーボール部に入部しましたが、「指に怪我をする可能性がある」とピアノの恩師に止められ、陸上部へ転部。

そこで走高跳の選手として活躍しました。

宝塚との出会いは高校時代のことです。帝塚山学院高等学校で中途入部したミュージカル部で才能を発揮するなかで、友人に誘われて宝塚歌劇を観劇する機会がありました。

そのとき観た花組公演『琥珀色の雨にぬれて』に心を打たれ、受験を決意したといいます。

バレエやピアノで培った下地があったからこそ、その舞台の輝きが自分ごととして響いたのかもしれません。

何期生?宝塚での歩みと同期たち

和央ようかさんは1988年に宝塚音楽学校を卒業し、74期生として宝塚歌劇団に入団しました。

入団時の成績は7番と優秀な滑り出しで、同年5月に雪組へ配属されます。

入団2年目(研2)にして新人公演で『ベルサイユのばら』のオスカル役を任されるなど、早くから注目される存在でした。

その後1998年には、新設された宙組の創設メンバーに選ばれ異動。2000年6月、先代トップスターの姿月あさとさんの退団を受け、宙組トップスターに就任します。

以降、花總まりさんとのコンビ「タカハナ」で平成以降最長となる約6年間、トップとして宙組を牽引し続けました。

74期生は宝塚史上でも類を見ないほど仲がよく、結束力の強さで知られています。

和央ようかさんをはじめ、白城あやかさん(元星組娘役)、麻乃佳世さん(元月組娘役)、森奈みはるさん(元花組娘役)、渚あきさん(元星組娘役)と、

なんと5人ものトップスターを輩出した黄金世代です。

2018年には入団30周年を記念した公演「Fiesta del 74!!」を東京・恵比寿で開催。

舞台に立てない同期もコーラスの録音やスライドで参加し、41名全員が”出演”したという形を実現させました。

このエピソードだけでも、74期の絆の深さが伝わってきます。

性格・人柄はどんな人?

華やかなトップスターというイメージとは少し異なる一面も、和央ようかさんの魅力です。

ご本人はインタビューでこんなことを話しています。

「男役の型にはまりきれず悩んでいた時期がありました。伝統的なアピールがかっこよくできなくて。

ある時からかっこつけるのをやめたんです。

そこから和央ようかの男役ができていきました」。

ファンに媚びない姿勢も一貫しています。

「ファンの皆さんの想いをいつも考えて創りパフォーマンスしますが、媚びません」という言葉は、長年のファンにはよく知られたスタンスです。

観客に寄り添いながらも自分のスタイルを曲げない、その芯の強さが多くの人を惹きつけてきました。

夫のフランクさんも「TAKAKOは『Look at me!』と言わなくても観客を引き寄せる力がある。

スポットライトを浴びてそこに立つだけで十分カリスマ性がある。

これは学んで身につけられることじゃない」と絶賛しています。

また、プロ根性を語るうえで外せないのが2005年12月の事故です。

公演中にフライング装置が外れ、約2メートルの高さから転落し骨盤・肋骨を骨折するという重傷を負いながら、和央ようかさんはその場で転がったマイクを拾って歌い続けたといいます。

退団公演でも骨折が完治しないまま稽古に通い、舞台に立ち続けた姿は、多くのファンの記憶に深く刻まれています。

歌唱力の評判

和央ようかさんの歌唱力については、公演案内に「卓越した歌唱力で贈るプレミアムステージ」と紹介されるなど、プロの目から見ても高く評価されています。

最も有名なエピソードが、フランクさんとの出会いの場面です。

当時まだ友人関係だったフランクさんは、

後のインタビューで「背が高くて美しくて。そこにいる佇まいも歌い出した声も、ほかのみんなとはまったく違って見えました」と語っており、

その声に惚れ込んだことが二人の縁の始まりでもありました。

退団後の歌唱実績も豊富です。

ブロードウェイミュージカル『CHICAGO』では主演ヴェルマ・ケリー役を熱演し、ミュージカル『ドラキュラ』では世界初の女性ドラキュラとして話題を集めました。

シャンソン・ジャズ・歌謡曲・ミュージカルとジャンルを横断できる表現の幅広さは、彼女ならではの強みといえるでしょう。

ファンの間では評価が分かれる部分もありますが、57歳になった今もコンサートやディナーショーに立ち続けていることが、その実力を何よりも証明しています。

英語力と海外生活

「宝塚時代は英語がまったくできなかった」というのは、和央ようかさん自身の言葉です。

フランクさんと初対面したとき、「たくさん話しかけてくれましたが、当時は英語もできなかったので、気遣いのある方だな、くらいの印象でした」と振り返っています。

その後、退団後にアメリカへ留学・移住する過程で英語力を習得。

2015年の結婚後はニューヨークに生活拠点を移し、現在はハワイを拠点に日本と行き来しながら活動しています。

夫がネイティブの英語話者であることもあり、日常的に英語環境で生活していることは間違いありません。

2016年には海外モデルエージェンシーとの契約を経て「TAKAKO」名義で本格的に国際活動をスタート。

Instagramでも英語と日本語を使い分けながら情報発信しており、フォロワーは12万人を超えています。

宝塚時代には想像もしなかった姿が、今の和央ようかさんの日常になっているのです。

まとめ

今回は和央ようかさんについて、身長・本名・年齢・何期・同期・性格・歌唱力・英語力と、さまざまな角度から情報を整理しました。

174cmの長身を武器に宙組で約6年間トップに立ち、74期という黄金世代の中でその地位を築いた和央ようかさん。

帝塚山学院高等学校でミュージカルに目覚め、宝塚音楽学校へ進んだ少女が、今や世界を舞台に活躍するアーティストになっているというストーリーは、何度聞いても胸が熱くなります。

媚びないスタイル、骨折しながらも舞台に立ち続けたプロ根性、夫が惚れ込んだ歌声……。

知れば知るほど、和央ようかさんという人物の奥深さに引き込まれていきます。これからの活動にも、ぜひ注目してみてください。

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