2024年10月、宝塚歌劇団雪組のトップスターに就任した朝美絢さん。
華やかなビジュアルと圧倒的な存在感で多くのファンを魅了する彼女ですが、実は宝塚音楽学校時代に「首席入学から入団時24番へ」という意外な成績変化を経験していることをご存知でしょうか。
2007年の入学式で新入生総代として答辞を述べた朝美絢さんは、なぜ2年後の入団時には24番という成績になったのか。
そこには宝塚音楽学校独特の評価基準の変化と、「花の95期」と呼ばれる超ハイレベルな同期たちの存在がありました。
本記事では、朝美絢さんの入学式エピソードから首席入学の意味、そして成績が変化した理由、さらにトップスターへと至る感動的な成長の軌跡まで、詳しく解説していきます。
朝美絢の入学式─95期首席入学者として答辞を述べた日
2007年4月、宝塚音楽学校95期生入学式
2007年4月19日、宝塚音楽学校で第95期生の入学式が執り行われました。
この年の受験者数は863人、合格者はわずか45人という倍率19.18倍の狭き門。
その頂点に立ったのが、神奈川県鎌倉市出身の朝美絢さんでした。
実は朝美絢さんにとって、この合格は2度目の挑戦での快挙でした。
1度目の受験では不合格を経験し、その悔しさをバネに再挑戦。
清泉女学院在籍中に見事首席合格を果たしたのです。
小学生の頃からクラシックバレエを習い、1000days劇場での月組公演「螺旋のオルフェ/ノバ・ボサ・ノバ」を初観劇してスーツ姿の男役に憧れを抱いた少女は、こうして宝塚の扉を開けました。
新入生総代として答辞を述べた朝美絢さん
首席入学者には重要な役割があります。
それは入学式で新入生総代として答辞を述べること。
本科生(上級生)からの歓迎の言葉に対して、新入生を代表して返答するこの大役は、宝塚音楽学校生活の幕開けを象徴する重要な場面です。
真新しい制服に身を包んだ朝美絢さん(当時の本名:山本朝美さん)は、緊張の面持ちで答辞を読み上げました。
お辞儀の角度、言葉の強さ、表情に至るまで、事前に厳しく指導されたであろうその姿は、まさに宝塚生としての第一歩でした。
入学式では50音順で並ぶため、本名の頭文字が「あ」から始まる礼真琴さん(後の星組トップスター)が近くにいたと推測されます。
後に深い絆で結ばれる二人が、この日すでに近くにいたことは、運命的な出会いだったのかもしれません。
ファンの間では、この入学式の映像を見返して「17年後の雪組トップスター・朝美絢さんを、誰がこの時想像できただろうか」と感慨深く語られています。
首席入学の意味と朝美絢が選ばれた理由
宝塚音楽学校における「首席入学」とは
宝塚音楽学校では、入学試験で最も優秀な成績を収めた生徒を「首席入学者」と呼びます。
この首席入学者は単なる成績優秀者ではなく、「一番委員」として予科生(1年生)全体をまとめる重要な役割を担います。
一学年には、中学卒業直後の15歳から高校卒業後の18歳まで、年齢の幅がある生徒たちが集まります。
出身地も全国各地、育った環境もバラバラ。
そんな多様な背景を持つ40人をまとめ、統率していくのが首席入学者の責務なのです。
また、首席入学者は入学式で答辞を述べるため、マスコミからも注目される存在となります。
宝塚音楽学校生活のスタート時点から、大きなプレッシャーと期待を背負うことになるのです。
興味深いことに、歴代の首席入学者を調べてみると、中学卒業直後の生徒は一人もいません。
全員が高校に在籍した後に入学しています。
これは、年下の中卒者には同期全体をまとめる役割が荷が重いという配慮があると考えられています。
朝美絢さんが首席入学に選ばれた理由
では、なぜ朝美絢さんが首席入学に選ばれたのでしょうか。
最大の理由は、その圧倒的なビジュアルと華です。
宝塚音楽学校の入学試験では、歌やダンスなどの実技だけでなく、面接での評価が大きなウェイトを占めます。
ここでは容姿、オーラ、立ち居振る舞い、そしてトータルの魅力が審査されるのです。
朝美絢さんの美しい顔立ちは、受験時から関係者の目を引いたと言われています。
これは宝塚史上最年少でトップスターになった天海祐希さんと同様です。
天海さんの母親は受験時に「よくぞ産んでくださいました!」と声をかけられたという伝説がありますが、朝美絢さんもそれに匹敵する存在感を放っていたことでしょう。
加えて、朝美絢さんは面倒見が良く、リーダーシップを発揮できる人間性も評価されたと考えられます。
実際、音楽学校時代の朝美絢さんは同期から「お世話になった」と語られるほど、面倒見の良い存在でした。
歴代首席入学者との比較
首席入学者は宝塚の歴史の中で特別な存在です。
参考までに、近年の首席入学者を見てみましょう。
天海祐希さん(73期): 首席入学 → 入団時18番 → 月組トップスター
霧矢大夢さん(80期): 首席入学兼首席入団 → 月組トップスター
朝美絢さん(95期): 首席入学 → 入団時24番 → 雪組トップスター
永久輝せあさん(97期): 首席入学 → 入団時6番 → 花組トップスター
興味深いのは、首席入学者が必ずしも首席入団(卒業時トップの成績)になるわけではないということ。
天海祐希さんも朝美絢さんも、入学時は首席ながら入団時の成績は下がっています。
しかし、二人とも最終的にはトップスターに就任しているのです。
首席から24番へ─朝美絢の成績が変化した理由
入学時と入団時の成績評価基準の違い
朝美絢さんが首席入学から入団時24番へと成績が変化した最大の理由は、評価基準の違いにあります。
入学時の評価: 容姿、オーラ、面接での印象、トータルの魅力、リーダーシップ素質入団時の評価: 実技力(歌唱力、ダンス技術、演技力)を中心とした実力
宝塚音楽学校では前期・後期の二期制のもと、中間試験や期末試験が繰り返し行われます。
そして本科生(2年生)の卒業試験の成績が、そのまま入団時の成績となるのです。
つまり、入学時は「将来性」や「人間性」も含めた総合評価だったものが、2年後の入団時には「現時点での実技能力」という明確な基準に変わるということ。
この評価軸の転換が、成績変動の大きな要因なのです。
朝美絢さん本人の性格要因
朝美絢さん自身が語っているエピソードも、成績変化を理解する上で重要です。
本人曰く、「マイペース」「場に馴染むのが苦手」「何事も時間がかかる」性格だったとのこと。
音楽学校では多くの課題を短期間でこなし、常に新しい技術を習得していく必要があります。
そんな環境の中で、じっくり時間をかけて成長するタイプの朝美絢さんは、苦労したのかもしれません。
また、1度目の受験失敗という経験も、彼女に慎重さと謙虚さをもたらしたと考えられます。
周囲からの期待に応えようと努力する一方で、自分のペースを守りながら成長していく─そんな姿勢が、結果的に入団時の成績に反映されたのでしょう。
「花の95期」のハイレベルな環境
しかし、朝美絢さんの成績が24番になった最大の理由は、95期全体のレベルの高さにあります。
95期は「花の95期」「黄金期」と呼ばれる、宝塚史上屈指の優秀な期です。
なんと同期からトップスター4人を輩出しており、これは73期以来22期ぶりの快挙です。
- 柚香光さん(元花組トップスター)
- 月城かなとさん(元月組トップスター)
- 礼真琴さん(元星組トップスター)
- 朝美絢さん(現雪組トップスター)
さらに、2025年には桜木みなとさんが宙組トップスターに就任予定で、5人目のトップ誕生となります。
Yahoo!知恵袋には、こんな考察が投稿されています。
「朝美さんは破綻のない実力の持ち主ですが、突出した才能や技術があるわけではない印象を受けます。95期はビジュアルだけでなく、実力面でのレベルも相当にハイレベル。上位の方々はダンス、歌共に素晴らしい能力の持ち主ばかりです」
つまり、朝美絢さんの実力が下がったのではなく、周囲の同期たちの伸びが著しかったということ。
相対評価の世界において、ハイレベルな環境の中での24番という成績は、決して低いものではないのです。
首席入学者としての責務の影響
もう一つ見逃せないのが、首席入学者としての責務が学業に影響した可能性です。
一番委員として同期をまとめる役割は、想像以上に大変です。
中卒から高卒まで年齢の幅がある40人を統率し、本科生との橋渡しをし、時には悩み相談に乗ることも。
朝美絢さんは「秘書的な役割」を果たしていたとも言われており、こうした業務に時間を取られた可能性があります。
実際、礼真琴さんをはじめとする同期たちは今でも「あーさ(朝美絢さんの愛称)にはお世話になった」と語っており、朝美絢さんが同期のために尽くしていたことが伺えます。
自分の実技練習の時間を削ってでも同期のために動く─そんな姿勢が、結果的に入団時の成績に影響したのかもしれません。
しかし、この経験こそが、後にトップスターとして組をまとめる力の礎となったのです。
音楽学校時代のエピソードと同期との絆
首席入学者としての音楽学校生活
朝美絢さんの音楽学校時代は、まさに「縁の下の力持ち」としての日々でした。
予科時代、朝美絢さんは一番委員として同期をまとめる役割を担っていました。
朝の校内掃除の指揮、本科生への報告、同期間のトラブル解決など、その責務は多岐にわたります。
特に予科生は本科生から厳しく指導される立場にあり、一番委員はその橋渡し役として重要な存在なのです。
同期からは「面倒見が良い」「相談しやすい」と慕われ、95期全体の雰囲気作りに貢献していたと言われています。
華やかなビジュアルとは裏腹に、地道に同期を支え続けた朝美絢さんの姿は、多くの95期生の記憶に刻まれているのです。
95期の強い同期愛
95期は、宝塚の中でも特に「同期愛」が強いことで知られています。
音楽学校では、同期とは「家族より一緒にいる時間が長い」存在です。
朝から晩まで共に学び、厳しい指導を受け、時には涙を流しながら支え合う。
そんな濃密な2年間を過ごした絆は、入団後も変わりません。
礼真琴さんは退団会見で、同期についてこう語っています。
「同期という存在はいつまでたっても不思議で、家族より一緒にいる時間が長い学校生活を過ごして。劇団に入って5組にそれぞれ別れてしまっても、離れていても、会えば昨日まで一緒にいたかのような感覚になります」
朝美絢さんと礼真琴さんは、音楽学校時代から特に仲が良く、入学式では本名の50音順で近くにいたことから、早い段階で絆を深めたと考えられます。
入団後は異なる組に配属されながらも、その友情は今も続いているのです。
95期の同期会では、月城かなとさん、柚香光さん、水美舞斗さん、瀬央ゆりあさん、桜木みなとさんなど、現在も活躍するメンバーが集まり、音楽学校時代の思い出話に花を咲かせるといいます。
その中心にいるのが、首席入学者として同期をまとめた朝美絢さんなのです。
成績24番から雪組トップスターへ─努力の軌跡
入団後の着実なキャリア
入団時24番という成績でスタートした朝美絢さんですが、そこから雪組トップスターに至るまでの道のりは、まさに努力と成長の物語でした。
2009年: 95期生として宝塚歌劇団入団、月組配属
2014年: 「PUCK」で新人公演初主演
2015年: 「A-EN ARTHUR VERSION」でバウホール公演初主演
2017年: 雪組へ組替え(研8での異動)
2018年: 「義経妖狐夢幻桜」でバウホール単独初主演
2021年: 「ほんものの魔法使」で東上公演初主演
2023年: 「海辺のストルーエンセ」で2度目の東上公演主演
2024年: 「仮面のロマネスク/Gato Bonito!!」で全国ツアー公演初主演2024年10月14日: 雪組トップスター就任
月組では「芝居の組」として演技力を磨き、雪組では「和物の組」として日本物の所作や表現を学びました。
新人公演、バウホール公演、東上公演、全国ツアーと、着実にステップアップしていく姿は、まさに「継続は力なり」を体現するものでした。
「成功の反対は失敗ではない」という信念
朝美絢さんは、インタビューでこう語っています。
「成功の反対は失敗ではない。何も挑戦しないことだ」
1度目の受験失敗、首席入学から24番への成績変化、同期がトップスターになる中での長い下積み時代─様々な試練を経験しながらも、朝美絢さんは決して諦めませんでした。
月組時代には、同期の月城かなとさんや柚香光さんがトップスターに就任。
星組に異動した礼真琴さんも、研10という早さでトップに。
そんな中、朝美絢さんは雪組で2番手として、じっくりと実力を蓄えていきました。
「マイペース」「時間がかかる」という自身の性格を理解し、焦らず、着実に。
15年という長い年月をかけて、朝美絢さんは雪組トップスターという夢を実現させたのです。
95期からの4人目のトップスター誕生は、ファンにとっても感動的な瞬間でした。
「花の95期」の絆が、ここでも証明されたのです。
まとめ
朝美絢さんの「首席入学→入団時24番→雪組トップスター」という軌跡は、宝塚歌劇団の奥深さと、努力の大切さを教えてくれます。
入学式で新入生総代として答辞を述べた2007年4月から、雪組トップスターに就任した2024年10月まで、実に17年という歳月が流れました。
その間、朝美絢さんは成績の変化という試練を経験しながらも、決して諦めることなく、自分のペースで成長し続けました。
首席入学から入団時24番への成績変化は、評価基準の違い、本人の性格、そして「花の95期」という超ハイレベルな環境が要因でした。
しかし、この経験こそが朝美絢さんを謙虚で努力家なスターへと成長させたのです。
首席入学者として培ったリーダーシップ、同期をまとめた経験は、今、雪組トップスターとして組を率いる力となっています。
入学式で答辞を述べた少女は、17年の時を経て、宝塚歌劇団を代表するトップスターへと成長しました。
朝美絢さんの物語は、私たちに教えてくれます。
成績だけが全てではないこと、継続的な努力が最終的な成功につながること、そして自分のペースで成長することの大切さを。
現在、雪組トップスターとして輝く朝美絢さん。
その笑顔の裏には、首席入学者として同期を支え、成績の変化にも負けず、15年間努力し続けた、感動的な成長の物語があるのです。


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