宝塚歌劇団の星組トップスターとして「令和のトップ・オブ・トップ」と称され、2025年8月に退団した礼真琴さん。
実は宝塚に入る前から子役として舞台や映画に出演していたことをご存じでしょうか?
この記事では、礼真琴さんの「子役時代」に焦点を当て、本名や名義、出演作、当時の活動の様子をわかりやすくまとめてみました。
そのほか、バレエ歴、そして若い頃の宝塚音楽学校〜下積み時代も紹介しています。
ファンなら思わず「へえ!」と声が出る、意外なエピソードがたっぷりです。
礼真琴の子役時代|本名「浅野琴」で芸能界デビュー
宝塚音楽学校に入学する前、礼真琴さんは本名の「浅野琴」として芸能活動をしていました。
「ジャズダンスジュエル」という子役養成所に在籍していたとされています。
ここで歌やダンス、演技などの基礎をしっかりと学び、舞台出演のチャンスを得ていたようです。
子役養成所に通っていたこと自体は自然にうなずけますし、歌やダンスの基礎力の高さを見れば納得できますよね。
子役時代の主な出演作品
ファミリーミュージカル『ココスマイル3~虹色のメロディ~』(2002年)
最もよく知られているのが、2002年に上演された少女ミュージカル「ココ・スマイル3 〜虹色のメロディー〜」への出演です。
2002年といえば11〜12歳の頃になります。
キャスト表に「浅野琴」として名前が残っており、アユ役を演じたことが確認できます。
この「ココ・スマイル」シリーズは、歌やダンスを盛り込んだファミリーミュージカルで、子役の登竜門のような作品。
当時まだ小学生だった礼真琴さんが舞台で堂々と歌い踊っていた姿を想像すると、今の実力のルーツを垣間見ることができます。
観劇レポートなどにも「浅野琴」の名前が残っており、当時から存在感があったことがうかがえます。
ミュージカル『ふたり』(2003年・2004年)
ミュージカル『ふたり』は、アミューズ創立25周年記念企画として制作された作品で、原作は赤川次郎さんの小説です。
礼真琴さんはオーディションを勝ち抜いて出演し、2003年・2004年と2年連続で舞台に立っていました。
2003年版では猫の役を演じたことが伝えられており、当時から表現力の高さがうかがえます。
また、2004年版には後に女優として活躍する仲里依紗さん、ホラン千秋さんも出演しており、礼真琴さんは若い頃から注目を集める出演者たちと同じ舞台経験を積んでいたことになります。
この子役時代の縁からか、女優の仲里依紗さんが後に礼真琴さんの主演舞台を観劇されたというエピソードも残っています。
なお、ミュージカル『ふたり』の詳細は、Wikipediaや当時の公式サイト(2003年版、2004年版)にも掲載されています。
作品概要や出演者情報を確認したい方は、あわせて参考にしてみてください♪
テレビドラマ『めだか』(2004年)
礼真琴さん(当時は浅野琴名義)は、2004年放送のフジテレビ系ドラマ『めだか』にも出演しており、酒井若菜さんが演じた刈谷景子の中学時代役を務めていました。
『めだか』は2004年10月5日から12月14日まで放送された全11話の連続ドラマで、主演はミムラさん。
定時制高校を舞台にした、教師が主人公のドラマです。
景子の父・刈谷六郎は、泉谷しげるさん演じる定時制高校の生徒で、生花店を営みながら娘を男手ひとつで育ててきた人物として描かれています。
酒好きで不器用な一面がありつつも、娘の結婚をめぐるエピソードが描かれており、情に厚い父親像が印象に残る役どころです。
映画『博士の愛した数式』(2006年公開)
さらに映画ファンにとって見逃せないのが、2006年公開の映画『博士の愛した数式』です。
渡辺謙さん主演の映画で、学校の生徒役として出演しています。
エンドロールに「浅野琴」の名前がクレジットされており、DVDや配信サービスで確認することができます。
大ヒット映画に出演していたという事実は、宝塚ファンにとってもうれしい発見ですよね。
その他の出演作
■ ベビースターラーメンのCM
テレビCMにも出演しており、子役時代から舞台以外の活動もしていました。
子役時代と宝塚受験のつながり
2002年に「ココ・スマイル3」に出演し、2006年には映画『博士の愛した数式』に名を残した浅野琴さん。
その後、2007年に宝塚音楽学校に入学し、95期生として宝塚の世界へ飛び込みます。
この流れを見てみると、子役としての経験がしっかりと基盤になっていたことがわかります。
舞台での度胸や歌の力強さ、表現の幅広さは、この時期に培われたのかもしれません。
礼真琴のバレエ歴|宝塚への転機となったバレエとの関わり
子役活動と並行して、礼真琴さんはバレエも習っていました。
バレエを始めたきっかけ
バレエを始めたのは小学校の時で、友人に誘われてバレエ教室に通い始めたのがきっかけです。
バレエ歴を逆算すると、小学校高学年(10〜11歳頃)から宝塚音楽学校に入学する2007年まで、およそ4〜5年間続けていたと推定されます(公式に年数は発表されていません)。
バレエは「好きではなかった」
本人いわく「当時はあまり好きではなかった」とのこと。習い事として続けてはいたものの、バレリーナを目指していたわけではありませんでした。
身長が高すぎてバレリーナの道が難しくなった
成長とともに身長が170cmになったことで、バレエの先生から「バレリーナになるには身長が高すぎる」と言われるようになりました。
そのバレエの先生が代わりに勧めたのが「宝塚」でした。
これが礼真琴さんにとって宝塚を意識するきっかけになります。
好きではなかったバレエを続けていた期間が、思わぬ形で次の道につながったわけです。
若い頃の礼真琴|柚希礼音との出会いと宝塚への挑戦
バレエの先生に勧められた礼真琴さんが実際に宝塚を初めて観劇したのは2005年のことです。
初観劇は『龍星』
訪れた舞台は、星組の安蘭けいさんが主演を務めた日本青年館公演『龍星~闇を裂き天翔けよ。朕は、皇帝なり~』。
当時15歳だった礼真琴さんは、その舞台で当時星組2番手として李霧影を演じていた柚希礼音さんに強く引きつけられました。
「この人と一緒に舞台に立ちたい」という気持ちから、礼真琴さんは宝塚受験のためのレッスンを本格的に始めます。
初観劇から1年半後の2007年4月、倍率約19倍の宝塚音楽学校に一発合格を果たしました。
芸名「礼真琴」の由来
芸名の「礼」は柚希礼音さんから一文字いただいたもので、「琴」は本名の浅野琴から取っています。
若い頃の礼真琴|音楽学校〜入団後の下積み時代
「花の95期」と音楽学校時代
礼真琴さんが入学した95期生は、後に「花の95期」と呼ばれるほどスターを多く輩出した学年です。
柚香光さん、月城かなとさん、朝美絢さん、桜木みなとさんなど、各組の主力スターが揃っています。
ただし音楽学校在学中は、先生方から「どんぐりの背比べ」と評されており、学年の合言葉は「We are chicken!!」だったといいます。
そうした中でも、礼真琴さんについては「ことちゃんはなんでも出来た」「ことちゃんだけは飛び抜けていた」と多くの同期が振り返っています。
首席として一番委員の役割を担っていた礼真琴さんですが、
本人は「首席というのはたまたま。ライバル心というのがそんなになかった。和気あいあいと肩を組んで芸事に挑んできた」と語っています。
音楽学校時代の失敗エピソード
96期生の合格発表の場で、一番委員として「発表します!」と言った後、立ち位置を間違えてしまい、同期が広げた合格発表の板が頭にぶつかってしまったというエピソードが残っています。
それでも咄嗟にお辞儀をして場をつないだそうです。
また、本科生になった際に演劇の授業で先生から厳しい言葉をかけられ、次の授業に出席できなくなったこともあったといいます。
一期上の仙名彩世さんに電話でアドバイスをもらい、向き合えるようになったとのこと。
若い頃から順風満帆だったわけではなく、悩みながら進んできた一面も持ちあわせていました。
2009年:首席入団、憧れの星組へ
2009年3月、礼真琴さんは宝塚歌劇団に首席で入団。宙組公演「薔薇に降る雨/Amour それは…」で初舞台を踏んだ後、星組に配属されました。
星組デビューとなった公演は、柚希礼音さんのトップスター就任お披露目公演でもありました。
他の同期が「星組になりませんように」と祈る中、礼真琴さんは嬉しくて浮き足立っていたと伝わっています。
若い頃の出世作「愛」役
入団翌年、礼真琴さんは研究科2年(研2)という早い時期に、梅田芸術劇場・博多座公演『ロミオとジュリエット』の「愛」役に抜擢されます。
台詞を持たず、全編ダンスのみで感情を表現するこの役で、礼真琴さんの名前は宝塚ファンの間に広く知れ渡りました。
同期の妃海風さんは当時を振り返り「確かに歌もダンスも何もかも上手で、さらっとやれちゃうように見える。でも、そうなる前に、家でめちゃくちゃ練習していると思う」と話しています
まとめ
今回は「礼真琴 子役時代」にスポットを当ててご紹介しました。
- 子役名義は浅野琴
- 2002年「ココ・スマイル3」でアユ役を演じる
- 2006年映画『博士の愛した数式』に出演
- 子役養成所に通っていたとされ、歌やダンスを基礎から学んでいた
- その後2007年に宝塚音楽学校へ入学し、未来のトップスターへの道を歩み始めた
こうして振り返ると、礼真琴さんの子役時代は「のちの宝塚スターの基盤を築いた大切な時期」だったことがわかります。
今の圧倒的なパフォーマンスの裏には、幼い頃からの努力と経験がしっかり積み重なっていたのですね。


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