ドラマや映画で活躍する女優・映美くららさんを見て、「この人、どこかで見たことがある」と感じた方は多いのではないでしょうか。
実は映美くららさんは、2000年代初頭の宝塚歌劇団で月組トップ娘役を務めた、実力と美貌を兼ね備えた元タカラジェンヌです。
退団から20年以上が経った今もなお、テレビドラマを中心に精力的な活動を続ける映美くららさん。
この記事では、若い頃の宝塚時代にどんな軌跡を歩んだのか、相手役や同期にはどんな人物がいたのか、そしてなぜ惜しまれながら退団したのかを、詳しく解説していきます。
映美くらら・若い頃のプロフィールと宝塚を目指したきっかけ
まずは、映美くららさんの若い頃の基本情報から振り返ってみましょう。
映美くららさんの本名は本山麻衣子(もとやま まいこ)。
1979年6月15日生まれの熊本県出身で、血液型はO型、身長は159cmです。
愛称は「くらら」または「えみくらちゃん」とファンから親しまれています。
特技はバレエと日本舞踊で、幼い頃からバレエを習っていたことが、後の宝塚での活躍を支える礎となりました。
宝塚歌劇団を志すきっかけとなったのは、中学時代の修学旅行でした。
そこで初めて宝塚の舞台を観た映美くららさんは、そのパワーと迫力に圧倒され、その場で「ここに入ろう」と決意したといいます。
以降は入団を目指して猛勉強と稽古を続け、高校卒業後に2度目の挑戦で難関の宝塚音楽学校に合格。
1997年に入学、1999年に85期生として宝塚歌劇団へ入団を果たしました。
入団時の成績は40名中11番と上位で、その素質は入団当初から周囲の注目を集めていました。
映美くらら・宝塚時代の軌跡〜星組から月組トップへ〜
宝塚に入団した映美くららさんは、初舞台を雪組公演「再会/ノバ・ボサ・ノバ」で踏み、その後は星組に配属されました。
星組時代から、その華麗な美貌とダンスは早くも周囲の目を引きつけていました。
入団からわずか2年目で、2001年の「花の業平−忍ぶの乱れ−」にて新人公演初ヒロインに抜擢。
続く「イーハトーヴ 夢」ではバウホール公演と東上公演の両方で初ヒロインを務め、娘役としての実力を遺憾なく発揮しました。
その後、真琴つばささんの退団にともない、映美くららさんは2001年6月に月組へ組替えとなります。
そして組替えのわずか数日後、7月3日付で月組トップ娘役に電撃就任。
入団3年目でのトップ就任は、あの黒木瞳さんの2年目に次ぐ、歴代2位のスピード昇格として宝塚ファンの間で大きな話題を呼びました。
さらに、黒木瞳さん以降は生え抜きのトップ娘役が長く続いていたため、久しぶりの他組出身トップ娘役という点でも注目を集めました。
こうして映美くららさんの、輝かしい宝塚時代が本格的に幕を開けたのです。
映美くらら・宝塚の相手役は2人——紫吹淳と彩輝直
月組トップ娘役として、映美くららさんは在団中に2人の相手役と組みました。
1代目相手役・紫吹淳さんとの「歳の差コンビ」
最初の相手役は、月組トップスターの紫吹淳(しぶきじゅん)さんです。
紫吹さんはこの時すでに入団16年目。
円熟した男役の渋みを持つ実力者でした。
一方の映美くららさんは入団3年目の若手。
この「歳の差コンビ」の誕生には、当初ファンの間でさまざまな反響がありました。
「入団3年目でトップ娘役は実力的に無理では」というバッシングも少なくなかったと言われています。
しかし、いざ2人が舞台に立つと状況は一変します。
お披露目公演「大海賊/ジャズマニア」を皮切りに、2人は息の合ったパフォーマンスを見せ続けました。
ダンスの名手である紫吹さんにしっかりついていける基礎が映美くららさんにも備わっており、デュエットダンスはハイレベルと絶賛されました。
小柄な映美くららさんと高身長の紫吹さんという身長差も視覚的な魅力となり、少女が年上の男性に恋するような演目でファンを魅了しました。
中でも「長い春の果てに」は、2人の魅力が最もよく活きた作品として今でも語り継がれています。
当初のバッシングを演技力と存在感で完全に覆した映美くららさんは、こうして月組になくてはならないトップ娘役へと成長していきました。
ところが2004年3月、紫吹淳さんが宝塚を退団します。
このときも「なぜ一緒に退団しなかったのか」という批判の声が上がりましたが、これは映美くららさんにとっては理不尽な批判でもあり、気の毒に思ったファンも多かったと言われています。
2代目相手役・彩輝直さんとの短いコンビ
紫吹淳さんの後を受けて月組トップスターとなったのが、彩輝直(あやきなお)さんでした。
映美くららさんは引き続きトップ娘役として続投し、彩輝さんとの新コンビを結成。
2人は「飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II」でトップコンビとしてお披露目を迎えました。
しかし、映美くららさんが彩輝さんと本公演で組んだのはこの1作品のみ。
本来ならばこれからが娘役としての充実期を迎えるはずだった入団6年目に、映美くららさんはこの作品をもって宝塚歌劇団を退団することを決断したのです。
映美くらら・宝塚の同期85期生——豪華メンバーが勢揃い
映美くららさんが属する85期生は、宝塚の歴史の中でも特に豪華な学年として知られています。
同期の中で最も知名度が高いのは、元星組トップスターの柚希礼音(ゆずき れおん)さんでしょう。
映美くららさんとともに同期からトップスターとなった2人は、85期の双璧と称されることもあります。
ほかにも、元専科の男役スターとして長く活躍した華形ひかる(はながた ひかる)さん、
元宙組男役の七帆ひかる(ななほ ひかる)さん、
元月組男役の青樹泉(あおき いずみ)さん、
元雪組娘役の山科愛(やましな あい)さんなど、
各組で存在感を放ったメンバーが揃っています。
そんな仲良し85期生のエピソードとして語り継がれているのが、
映美くららさんの退団直前に宝塚ホテルで開催されたミュージック・サロン「マイ・スイート・メモリー」(2004年8月)です。
このショーには、月組の同期・美鳳あやさん、涼城まりなさん、音姫すなおさん、青樹泉さん、彩那音さん、真野すがたさん、天野ほたるさん、葉月さらさんが出演。
さらに日替わりゲストとして、同期の柚希礼音さんも駆けつけました。
宝塚人生最後の節目に、これだけの同期が集まった事実が、映美くららさんが同期からいかに慕われていたかを物語っています。
映美くらら・退団の理由と退団後の輝かしい歩み
2004年10月10日、映美くららさんは月組東京宝塚劇場公演「飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II」の千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団しました。
当時まだ入団6年目、25歳という若さでの退団はファンに大きな衝撃を与えました。
タカラジェンヌの平均在籍期間は10年前後といわれる中で、わずか5年での退団です。
退団理由については、映美くららさんは「とても充実している今がベスト」という言葉を残しました。
紫吹淳さんとのコンビを終え、彩輝直さんという新しい相手役と組んだことで、また新たな自分を引き出してもらい、強い充実感と幸福感を得られた。
そのうえで、今が最高潮にある「今」という瞬間に退団を選んだのです。
一方で本人は後のインタビューで「退団を決めたあたりから、本当に宝塚の舞台が楽しくなってきたんです」とも語っており、去り際の複雑な心境がうかがえます。
退団後は女優として新たな道を歩み始め、2005年1月放送のドラマ「ナニワ金融道6」でテレビドラマデビュー。
以来、「相棒」「純と愛」「おちょやん」など数多くの人気ドラマに出演し、確かな演技力で存在感を示してきました。
2012年にはフジテレビ系昼帯ドラマ「鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記」でドラマ初主演という大仕事も果たしています。
私生活では2015年に5歳年上の会社経営者の男性と結婚。
手紙と指輪を突然渡されてのプロポーズに「号泣しました」と語ったエピソードも話題になりました。
2017年に長男、2019年には長女を出産し、2児の母となった現在も女優活動を精力的に続けています。
まとめ
映美くららさんは、若い頃から卓越した美貌とダンスの才能で頭角を現し、入団3年目という異例のスピードで月組トップ娘役の座に就きました。
宝塚時代には紫吹淳さん、彩輝直さんという2人の相手役と印象的なコンビを組み、数々の名舞台を届けてくれました。
そして柚希礼音さんをはじめとする豪華な85期の同期たちとの絆も、今なお語り継がれています。
「充実している今がベスト」という言葉を胸に選んだ退団から20年以上。
輝いていた昔の宝塚時代の記憶を礎に、映美くららさんは女優として、そして2人の子を持つ母として、今なお美しく、力強く歩み続けています。


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